名前 |
長福寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
長福寺(医王山)は、薬師如来を本尊とする曹洞宗のお寺です。
備中国新見荘(現岡山県新見市)を拠点に勢力を張っていた新見氏の一族、新見能登守親員は備後国小堀(現上下町小堀)の地を手中に入れ、そこに三見城を築きました。
新見氏は菩提寺として長福寺を建立し、厚く尊崇して護持したため寺も大いに栄えたと伝えられています。
寺が創建された時期は不明ですが、初代の住職 日進珠用和尚が亡くなったのは戦国時代の天正8年(1580年)です。
当時の宗派は臨済宗でした。
ところが、新見氏は長府(現下関市)に所替えになり、その際に先祖の菩提を供養するため甲冑などを寄進したと伝えられます。
新見氏の護持を失った長福寺は次第に衰退していきましたが、江戸時代の初めに一閑嶺札和尚を招請し、曹洞宗のお寺として再興されました。
現在の長福寺は無住寺となっており、神石高原町高蓋にある長善寺の住職が兼務しています。
境内にある建物は本堂、庫裏、地蔵堂、門(冠木門)です。
本堂の屋根は茅葺きを残したまま金属瓦で覆ってあります。
門の脇に残る四角形の礎石は、鐘楼の跡地でしょうか。
また、主な所蔵品としては無縫塔、地蔵像、涅槃会があります。
地蔵堂には、六地蔵が石造と木造の二組祀られています。
木造の六地蔵のうち小さな4体(総高31㎝)は元々、長福寺西側の山手にあったお堂に安置されていましたが、戦時中にお堂が壊れたため長福寺に移されたものです。
木造の六地蔵は奥備後地域で唯一の珍しいものです。
六地蔵なのに2体が紛失していたため、後から両端の大きな2体が作られたようです。
なお、長福寺の墓地には歴代の住職の墓が無縫塔(塔身が卵形の墓塔)として残されており、時代と共に変化する無縫塔の姿を見ることが出来ます。
そのうちの1基が、府中市の重要有形文化財に指定されています(※詳細別記)。