諏訪観音霊場 25番札所 千手観音菩薩。
諏訪大社巡り中仙道甲州街道分れ道?から少し側道に入っただけ境内は広くなく回りやすく由緒も興味深いですが何と言っても和泉式部の伝承、顔のあざをお地蔵様が引受け、美貌を保ち宮廷への参内に繋がったとか他にもそう遠くない範囲に史跡お店色々ありますが新宿からあずさ号5980がネック。
和泉式部幼少期の伝説が残るお寺、銕焼地蔵尊が安置されているそうです。
旧中山道沿いの街並みから少し外れたところにある来迎寺。
本陣岩波の先で旧中山道は国道142号と分かれて湯田坂を下り、春宮に向かいます。
来迎寺は国道を100メートルほど北上したところにあります。
ところで、「来迎」は「らいこう」または「らいごう」と呉音で読みます。
仏教用語には呉音によるものが多いようです。
来迎とは、浄土思想に関する仏教用語で、阿弥陀如来や仏陀、菩薩などが現生を旅だった人びとを「極楽浄土」に迎え入れることです。
阿弥陀信仰では、念仏を唱えることで来迎を達することができると考えられているそうです。
その語を寺院の名称につけたところは、いかにも浄土宗の寺に似つかわしいものです。
来迎寺は、京都の知恩院を本山とする浄土宗のお寺です。
引接山聖聚院来迎寺というのが寺院の正式な名称です。
寺にまつわる史料では、南北朝期の14世紀末にここに聖聚院という寺院があって、その後、来迎寺という名称に変わったとか。
しかし、それよりも以前の来歴を記した史料はないようで、草創や由緒はわかりません。
それがやがて16世紀半ば頃に、栄海上人が衰微したこの寺を再興したそうです。
そのさいに開基役を担ったのが、諏訪大社下社の大祝家門の一族、諏訪右衛門尉だといいます。
この寺の北東の山腹高台には、中世に金指家が築いた城砦があり、この寺は城砦から続く斜面の崖下に位置します。
ということは、城の南西の裏鬼門を鎮護する寺院だった可能性もあるわけです。
駐車場は参道から入って玄関前を右に入ると2.30台止まれる広い場所が階段状になってあります。
出入りは交互に通行くらいですが、思ったよりあってびっくりです。
温泉?が沸いているお寺。
紅葉が綺麗でした。
紅葉がとてもキレイなお寺さんでした。
ウチの墓がある所。
昔話にも出て来るかな焼きさまが居るお寺です。
境内は広くはありませんが趣があって素敵なお寺でした。
御朱印も頂けます。
書き置きのときもあるようですが今日は御朱印帳に書いていただけました。
ご住職も親切で、お気持ちをお賽銭箱にということなので300円入れさせていただいた。
駐車場がわかりずらかったです。
素敵な環境桜の時期に来てみたい。
下諏訪宿の内にある浄土宗知恩院派の寺で、天文10年(1541)栄海上人の中興開山。
開基は諏訪大社大祝金刺氏の一族で諏訪右衛門尉とのこと。
江戸時代の初めは増上寺22世位産和尚がこの寺で得度したと伝えられます。
また和泉式部の幼少の頃にまつわる伝説とその守り本尊で最明寺入道北条時頼が運んできたと伝えられる銕焼地蔵尊があり、毎年4月中旬にご開帳供養が行われます。
和泉式部の供養塔があります。
諏訪観音霊場 25番札所 千手観音菩薩。
和泉式部ゆかりのお地蔵様がおわします。
名前 |
来迎寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0266-27-8234 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
長野県諏訪郡下諏訪町に所在する名の知れている古いお寺出入り口小さめで駐車場が少なめに多少難有り。