桜、梅など季節を感じる草木が手入れよく植えてありま...
可愛らしい神社で大好きです(*´ω`*)
姫の名の通りきれいな本殿です。
薬師堂の裏側に松虫姫の御廟があります。
松虫寺の摂社。
裏手には松虫姫の陵墓があります。
松虫寺の横にひっそりとたたずむ、松虫姫神社、由来は奈良時代。
ググってみると、詳しい歴史が~それにしても、印旛日本医大駅から、住宅街、関電工、農村、そして森林。
何か、野菜の盛り合わせみたいな~
松虫姫伝説の松虫姫を祀る神社です。
松虫寺の境内にあります。
由緒は隣の松虫寺(743年)のを引用します。
奈良時代、聖武天皇の第三皇女に松虫姫(不破内親王)という美しい姫君がいました。
年頃になって重い難病にかかり治療に手を尽くしましたが病は重くなるばかり、ところがある夜、下総に効験あらたかな薬師如来があるという夢のお告げがあり、天皇は病気療養の為、松虫姫の一行を下総に下向させました。
印旛沼のほとりの萩原郷に着いた時にはすでに陽は西に傾き、訪ねる薬師堂は丘の上にありました。
姫は薬師堂のかたわらに草庵を結び朝夕一心に祈り続け、乳母や従者たちも近くに小屋をかけて、姫と行を共にしながら、都で習い覚えた機織りや裁縫、養蚕などを村人に伝え、生活の糧としながら姫にかしづいていました。
歳月は流れ、姫の一念は御仏に通じて、難病は全快し病気全快の報せはただちに都へ届けられました。
都からはさっそく迎えの人々が差し向けられましたが、自分達を親切にいたわってくれた村人たちに報いるため、乳母の杉自をこの地に残し、都へ帰って行きました。
松虫姫から詳しく聞いた聖武天皇は、行基に命じ、七仏薬師群像を刻して献じ、一寺を建立して松虫寺と名付けました。
松虫姫が亡くなった後、遺骨は遺言によって松虫寺にも分骨され、村人は境内に墳を建てて丁重に葬り、松虫姫御廟と呼んで現在に伝えています。
松虫姫神社は明治の神仏分離令により松虫寺から分離されたようですが詳しくは不明です。
豊かな自然に囲まれた静かな神社です。
グーグルマップで最後まで案内されると神社の階段下に出て駐車できる場所はありません、最後まで案内される少し手前に松虫寺入口の案内が立っており曲がって中に行くと松虫寺の駐車場に出ます。
神社は松虫寺正面の左にあります。
H30.5.2参拝。
御祭神 松虫姫(不破内親王)聖武天皇の皇女。
小さな神社ですが、とても不思議な場所です。
鳥居をくぐると空気がピリッとします。
紫陽花、銀杏、桜、梅など季節を感じる草木が手入れよく植えてあります。
管理されている方の人柄が出ているのでしょう。
名前 |
松虫姫神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
隣接する松虫寺とともに松虫姫伝説を今に伝える神社です松虫姫は、平城京や東大寺で有名な聖武天皇の第三皇女の不破内親王のことです山門•仁王門の先にある立派な薬師堂の少し後方に松虫姫神社ご本殿がひっそりと佇んでいます境内は狭く派手さはないですが、まわりは静かで穏やかな雰囲気で、境内奥には松虫姫の御廟もあります神社から歩いて5分ほどのところに松虫姫の乳母であった杉自の塚があります松虫姫の病気平癒が叶った後も都に戻らずにこの地で生涯を終えたようです塚はアカガシとスダジイの二本の木に護られ、永い間この地を見守ってきたことが感じられますまた神社から1キロほどに松虫姫公園があります同じく松虫姫と一緒にここまで旅した牛が、病気が治って奈良の都に帰るには年老いているので、この地に残すことになったが、それを悲しんだ牛が身投げしたと云われる「牛むぐりの池」という池があり、姫を乗せた牛のモニュメントがありますGoogleMapで見ると、この牛むぐりの池の形が牛っぽい気がしてきます松虫姫は病気だけでなく、その後も生涯にわたって多くの災難に見舞われたようですが、この地でいつまでも静かに安らかに眠って欲しいです。