大正8年1月に来日したフランス航空教官団。
日本に航空技術をもたらした日本の「航空の父」
1919年(大正8年)航空先進国フランスよりフォール大佐が率いる63名の「フランス航空教育団」が来日し、1年9ヵ月のあいだ日本各地で航空技術全般について指導し、日本航空技術の進歩発展に貢献したそうです。
フォ―ル大佐像。
なんでフォール大佐の像があるんだろ?航空公園との関係は?そんなコトを知りたくなり調べてみると。
1919年(大正8年)。
航空先進国であるフランスからフォール大佐が率いる63名の「フランス航空教育団」が来日。
1年9ヵ月の間、日本各地で航空技術全般について指導し、日本航空技術の進歩発展に貢献したそうです。
所沢でも航空技術を伝え、フォール大佐の功績を称え1928年(昭和3年)に胸像と来日した団員の名前が刻まれたプレートが設置されたみたいです。
J・P・フォール大佐(1869~1924年)は、大正8年1月に来日したフランス航空教官団。
フランス陸軍の将校であると共に、当時第1級の操縦士として知られていた。
ソーミュール騎兵学校出身で、フランス陸軍野砲連隊司令官を兼務していた優秀なフランス空軍士官だった。
生涯結婚せず、離日8年後にパリで死去するまで独身を貫いた生粋の陸軍軍人で、第1次世界大戦では自身優秀なパイロットとして評判を得ていた。
(『ところざわ歴史物語』 『雄飛』より)
名前 |
フォール大佐像 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
航空公園内の広い道の脇に建つ、フランス軍人の石像です。
航空教育団の団長として来日し、その功績から「日本航空の父」と呼ばれてます。