上に立つものとしての距離感としてはちょうど良いかも...
案内のチラシが設置してあり、所々に説明が書いてある。
道も整備してあり、歩き易い。
公園もあり、遊具があったり、トイレもある。
標高283m、登城口から比高約48m公園整備された城跡あるある⛲️主郭に縄張図付き説明板がある👍️出曲輪には神社に土塁に堀切跡♪主郭横の堀は大正時代にトロッコが走ってたらしい➰奥に説明板付きの井戸跡がある♪さらに奥に堀、土橋♪櫓跡の土塁♪ここは城説明だけではなく蒲生サンの説明板がタッップリある (・о・)オー古地図まであって楽しめた👯
真田戦記音羽城跡滋賀県蒲生郡日野町音羽音羽城は六角氏の家臣であった蒲生秀綱あるいは貞秀の頃に築かれたとされます。
蒲生氏の本城でした。
蒲生貞秀が亡くなった後、同族の内乱となり大永7年(1527)の春、城主秀紀が六角高頼の裁定により、攻め手の将である叔父高郷の軍門に降り、直ちに城郭は破却されて50年弱の城の歴史が閉ざされました。
降伏した秀紀は鎌掛城へと移り、蒲生宗家を継承した高郷は日野城へ居城を移しています。
麓の駐車場からテクテク登って、プチ登山。
手書きの説明文が沢山あって、わかりやすかった。
ここにお城があったんだなと目を瞑りながら思い浮かべましょう。
秋に行くと、坂を登る途中には紅葉があり良い雰囲気です。
少し坂を登れば、城址があります。
遊具も少しあり、お子様連れでも楽しめる場所だと思います。
町から少し離れているけど、上に立つものとしての距離感としてはちょうど良いかもしれない。
一番の見所は縄張りとしての抜け穴だと思っている。
本丸と南の曲輪とが井戸で繋がっていたとかロマンしかない。
また、公園としても整備されてて地元の小学生が作った蒲生に関する板が所々に吊るしてあって楽しい。
夏休みに向けてシルバー人材センターの方々が草刈りをしていました。
それでも、虫が多いので8月からの虹色レイクで来られるかたは長ズボン、長袖、帽子、靴がいいと思います。
車は城趾のところまで上がれますが、駐車場らしき場所は狭いので事故には気をつけてください。
子供達とちょうちょを探しに行く公園の1つです。
人もいないしゆっくりできます。
トイレは昔ながらのトイレなので使用するのに勇気がいります。
天守跡が公園として整備されていてアスレチックの遊具が設置されていました。
井戸以外にはお城の遺構は確認できませんでしたが、空堀と思ったところは近隣の日渓溜を作った際のトロッコ跡だと看板がありました。
4月末に訪問したところ、藤がきれいに咲いていました。
県道182号側に看板あり、左折してすぐに駐車スペースが数台分有り、パンフレットも置いていて頂けます。
日野川、日渓溜が周囲にあり、北、東、西は急斜面になっている丘城です。
南側は開墾されたようです。
主郭部は広く四角い平地で、周囲を帯曲輪、出曲輪で囲まれています。
土橋、土塁、堀切、井戸跡、抜け穴などが残ります。
一部改変されているようでしたが見所は充分有りました。
手作りの説明板が所々にあり温かみを感じます。
お城の遺構部分はしっかりと草が刈り込まれていました。
整備してくださる方に感謝です。
中世の日野地方の領主蒲生貞秀(がもう・さだひで)によって、応仁の大乱期に築城された要塞(ようさい)堅固な典型的山岳城である。
背後に宝殿ヶ岳を控え前面に急峻(きゅうしゅん)な崖地(がいち)と日野川を配したこの城では明応五年(1496)と文亀三年(1503)の激しい合戦が二度起こり、いずれも城兵の蒲生氏が勝つが、大永二年(1522)に起こった蒲生氏同族間の合戦で音羽城は落城し、五十数年の運命と共に城は廃城となった。
城址内には数々の遺跡が散在する。
音羽城は室町時代の近江国日野の領主で、佐々木六角氏の家臣であった蒲生貞秀により築かれたと云われる。
大永2年(1522)宗家争いで貞秀の孫秀紀と叔父の高郷が争い、高郷は佐々木氏の援軍を得て、秀紀を音羽城に攻め、籠城戦の末、秀紀は降伏し和議がなり、秀紀は鎌掛城へ移り、蒲生宗家を継承した高郷は音羽城を廃城し、その後の居城を支城であった日野中野城へ移した。
現在、音羽城跡は広い本丸・二の丸・南の丸を合わせた芝生の公園となっており、遺構として空堀、土塁、曲輪、虎口が良く残っている。
深い堀切や土塁が残ってる。
駐車場がないのですが、穴場です。
教えたくないくらい。
よく管理されていて一息いれるのによい場所です。
人が誰も居ませんでした。
名前 |
音羽城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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山に入ると、攻めるのが難しい城と感じます。
写真では普通の山にしか見えませんが、本当にキツイです。