木曽義仲の産湯と 花咲く春へ!
鎌形八幡神社の特徴
木曽義仲の生誕地であり、特別な歴史が感じられる神社です。
春は桜並木、夏は嵐山渓谷と自然を楽しむ絶好のスポットです。
大河ドラマ『青天を衝け』のロケ地となった趣ある場所です。
木曾義仲生誕の地ときいて訪れました。
とても雰囲気のある神社で良かったです。
歴史を感じる神社ですが、社務所が無いので御朱印や御守は戴けません。
木曽義仲の産湯として由来があるとの事です。
御朱印は無いようでした。
大河ドラマ『青天を衝け』ロケ地、第2回獅子舞、第7回千代への告白。
総門が特に雰囲気ある。
栄一と千代がさながらいる感じ。
埼玉県嵐山町鎌形、大山講の灯籠この灯籠は江戸時代に大山講と言って相模国大山阿夫利神社の毎年七月二十七日から八月十七日まで行われる夏季大祭(大山開き)に合わせて大山講の人たちによって建てられます。
青天を衝けのロケ地として訪問しました。
以前から木曽義仲産湯の清水で知っていましたが、その清水が手水所の水に引かれていました。
境内は、静かで落ち着いて気分になりました。
晴天を衝けのロケに使われたので最近訪ねてみましさたが、相変わらずでしたが太陽光発電のパネルが神社域外に見られました。
前よりは鬱蒼とした森感にあるが薄れたかな?
大河「青天を衝け」のロケ地になったとのこと。
*追記 第二回で早くもOAされましたね。
本編のあの獅子舞の神社がここです!17年の春に訪れたときは、人気もなく杜によって周辺からは隔絶されているので、別世界に迷い込んだような不思議な感覚になりました。
また、木曾義仲に縁があるからか、拝殿などの手入れもよく古さのわりに廃れた感はありません。
指定された駐車場はなかったですが、境内の道を隔てた北東側に広い空地があったので、そちらに停めさせてもらいました。
懐かしい 情景。
癒されます。
🥰
グーグルナビだと駐車場は分かりにくい。
手水舎は木曽義仲産湯の清水と伝えられる湧水。
一応周辺は歴史の里として整備されているようだ。
小さく静かな神社です。
とにかく彫刻が素晴らしいです。
世の中に疲れたら立ち寄ってみてください。
神社はコンパクトですぐ見終わっちゃうけど、お参りのついで春は桜並木とイチゴハウスあるし、夏は嵐山渓谷とラベンダー畑あるし秋と冬は知らんが少し足を伸ばして玉川温泉でも行けばいいと思う。
社の階段下にある池に、大きい鯉とかいますよ。
小さい石橋足元に気をつけて渡って見るといいかもです。
草むらは蛇がいるかもだから気をつけてね。
寂れてるというか、歴史を感じると表現すべきか。
嵐山渓谷を訪ねた時に見つけたんですが、本当に気まぐれで立ち寄っただけなんですが、(木曽義仲産湯の井戸)を見つけた時は、それだけで歴史ある神社なんだと思いました。
八幡社は清和源氏の五代目・源頼義が朝廷から鎮守府将軍を任ぜられ戦勝を祈願したのが源氏の氏神になった始まりと言われています。
鎮守府将軍というのは、平安時代に各地に荘園が築かれると、その数が増えて荘園の境界をめぐる争いが起こり、それを鎮める役割なんです。
ちなみに、木曽義仲は清和源氏の分家の一人だから源義仲が本名。
さらに、清和源氏の直系の十代目が源頼朝になるんです。
八幡社は源氏に信仰されたと言われてますが、あくまでも清和天皇の流れを汲む源氏が信仰したのであって、源氏・平氏というのは皇位継承から外れた皇子や皇女に与えられた姓であり、鎌倉時代の次の室町時代の足柄尊氏も源氏だが、こちらは村上天皇の流れを汲む村上源氏になるので、八幡社を信仰していないようです。
木曽義仲生誕の地の班渓寺とも近い。
大きな神社です。
境内社として護国神社もあります。
「鎌形」埼玉県比企郡嵐山町大字鎌形にある神社。
「大蔵」鎌形の東隣の鎌倉街道上道の通っていた大蔵(大字)に館を構えていたのが源義賢(みなもとのよしかた)源頼朝の叔父(大蔵館)。
その義賢が鎌形に下屋敷をもうけていて、小枝御前に生ませた駒王丸(木曽義仲)の産湯の清水がこの神社にある。
「菅谷」その大蔵に対し、都幾川を隔てた北隣が菅谷(大字)で、ここに館を構えていたのが畠山重忠(菅谷館)。
坂東武士の鑑・はたけやま しげただ。
「畠山」その父親が、畠山重能(はたけやま しげよし)で、菅谷から10km位鎌倉街道上道を北西に進んだ地、深谷市畠山(荒川の南岸)に館がある。
ここでその子、重忠は生まれ育つ。
「後榛沢」榛沢六郎成清(はんざわろくろうなりきよ)の館は、畠山から鎌倉街道上道を10km位北西に進んだ地、深谷市後榛沢にある。
(旧榛沢郡榛沢村)成清の母が畠山重忠の乳母で、二人は乳兄弟の関係にあり、重忠は成清(年長)を重臣として補佐役としました。
(二俣川の戦いで共に討ち死に)「上里」畠山重能は源義朝(源頼朝の父)・義平親子に従い、源義賢を討つ。
義賢は落ち延びますが、児玉郡上里村にて追手に討たれる。
(上里町大字帯刀の福昌寺に供養塔がある)この時、駒王丸(木曽義仲)はまだ2歳、重能は義平より殺害を命じられるが、偽証して木曽へ逃がす。
「京都、鎌倉」畠山重忠と榛沢六郎成清は、源頼朝に従い、頼朝の弟の源範頼と義経と京へ進軍し、木曽義仲を討つ。
そののち源頼朝が鎌倉幕府を開く(1192)。
以上鎌形八幡神社は創建が奈良時代末~平安時代始めごろに坂上田村麻呂によって建てられたと伝わります。
その後は源氏の氏神として大切にされました。
その義仲が生まれたのが嵐山町、鎌形であると伝えられています。
木曽義仲の産湯清水が存在したり源頼朝にも信仰されたと伝わる源氏ゆかりの神社。
訪れる人も少なく、手水舎の流水の音だけが響く境内はとても幻想的で神秘的です。
田舎の神社と、思いしや、とても、味わいがありとても、静かでとても、良かった・
広くて、寂れた印象です。
車の乗り入れができるので、日陰に駐車して休んでいるドライバーが見受けられます。
道路沿いの橋のそばの東屋脇に水道があります。
知られていないと思いますが、便利です。
名前 |
鎌形八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
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ハイキングのおり、近くにこの祠が目についたので今度はサイクリングがてら寄ってみた。
ちゃんとした門構えがあり、鳥居と続く⛩。
霊験あらたかな雰囲気が素晴らしく、脇にある小さな祠まで格調を感じました。