山裾の小さな神社です。
戦艦大和第五代艦長、有賀幸作のレリーフが飾られている神社。
現在は社内は工事中の為、立入禁止となっている。
グーグルでは近隣に有賀幸作の墓が表示されているが、こちらは有賀家の墓でもあるので、訪問の際は留意する事。
さて、神社の写真とは少し違うがこちらが辰野町のメインストリート。
令和の今でもこんな具合だから有賀幸作の出生年の明治はもっと寂れていただろう。
長野のこの辺は冬は雪深い、主要産業は養蚕や諏訪への出稼ぎだっただろう。
有賀幸作は長男で軍人志望だったと言うが、山奥のここから兵学校に合格するということは相当苦学をしたに違いない。
そして海外への遠洋航海を続ける日々の中、長野の山奥の故郷を思った事も1度や2度ではない筈だ。
大和副長能村次郎著「戦艦大和死闘の記録」によると、菊水特攻作戦の直前に乗組員に最後の上陸をさせたり、出身地から家族を呼び寄せたりしたそうだが、辰野町から呉まではせいぜい電報がやっとだったろう(ちなみに能村次郎の出身は新宿である)その様な思いが、戦艦大和最期の日と言うレリーフを見た瞬間に私の中で溢れ、言葉を失った。
決して大きな神社ではありませんが、境内に大木や古い石碑が残っており、長い歴史を感じます。
また、他の投稿者の方にもありますが、旧日本海軍の戦艦大和と運命を共にした有賀幸作艦長のレリーフがあります。
鎮魂に相応しい静かな場所です。
トチの実のエピソードをTVで知って言ってみた。
平日の16時過ぎだろうか、小学生たちの集合場所になっているようで、ほどなく賑やかな声が響いていました。
英霊に最敬礼、今の平和を紡いでくれた方です。
辰野町出身である、戦艦大和最後の艦長、有賀幸作中将のレリーフが神社にあります。
そのレリーフには以下の碑文が国に捧げた君たちの尊いいのちよとこしえに世界平和のいしずえたれと祈る今を生きる私達は、先の大戦で命を懸けて国を守って戦ってくれた人々に、素直に感謝の言葉をかけなければいけません。
実家から徒歩5分の所にある子どもの頃から 学校帰りに集まって よく遊んだ秋祭りの会場 2年参りなどでも慣れ親しんだ神社入り口階段左手には 龍の口から湧き水が出ている遊んでる時にも よく飲んだ右手には 噴水池があり その中に石碑があるこれは 旧海軍 戦艦大和艦長 有賀幸作中将の為の記念碑である辰野町の東側 山の途中を通る中央道のすぐ下辺りに位置し 割りと広めな敷地の中 巨木に囲まれ 真夏でも涼しい風が通っており秋祭りで小学生の相撲大会をやる 小さな土俵もある歴史と伝統 そして親しみのある場所石碑には【延暦21年】との記載があります西暦にしたら 何年なのだろう?
山裾の小さな神社です。
海軍 有賀幸作 中尉(戦艦大和 最後の艦長)の石碑があります。
名前 |
法性神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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夕暮れ時にフラフラと寄りました灯りついてたので薄暗くても平気新しい御柱がそびえてました近くでみると神々しいです。