東海と近畿の異なる銅鐸の形状が統一されここに祀られ...
施設(開館時間9〜17時、火曜定休)が新しく出来ていて見応えがあり、芝生も今年の春頃には完成するということで楽しみです。
タイミングよければ保存会の方が丁寧に説明してくれます。
かの有名な伊勢遺跡。
初めて行く人に伝えたいのは、google mapに誘導されるまま車で行くと非常に危ないです。
身動き取れなくなる道に誘導されましたよ。
突っ込む前に気を付けて下さい。
それでも伊勢遺跡を見たくて改めて行きましたが、国の史跡とは思えない放置ぶり。
イメージイラストの看板、ボランティアで作ったような竪穴住居が置いてありました。
個人的には期待大きかっただけにガッカリでした。
歴史的な価値としての評価ではなく、今、行けるスポットとしての感想です。
守山市と栗東市の境にある弥生時代の大型遺跡です。
吉野ヶ里遺跡と同じ規模の大きさということで史跡になっていますが、現地は看板と復元された竪穴式住居があるぐらいで、周りは田んぼと住宅地に囲まれており駐車場もありません。
これから、遺跡の整備が進めばと思います。
北東に三上山が見え、当時は神聖な場所だった感じがします。
野洲からは日本最大の銅鐸が見つかっており銅鐸博物館もあるので、合わせてそちらも訪ねたいところです。
纒向遺跡が出来た頃、急激に衰退したようでヤマト建国に関わった可能性があります。
また守山市内には、至るところに弥生の住居跡が発掘されているので、稲作しやすい場所だったのが伺えます。
すぐ近くの皇大神社に伊勢遺跡のパンフレットが置いています。
邪馬台国の卑弥呼さまが居られた場所と聞きました。
この何もなさ感がいいのです。
東海と近畿の異なる銅鐸の形状が統一されここに祀られたとの説がある。
魏志倭人伝の言うところの共立が成り立ったとの説は面白い。
この銅鐸が共立のシンボルとして祀られた。
そのシンボルとなる最後の巨体な銅鐸がこの近くの大岩山で発見されているとの事。
その共立が成立した時に男の王ではなくはじめての女性が王となる。
それが卑弥呼だとの説。
卑弥呼は纏向遺跡がある場所に住む。
その卑弥呼が銅鐸の時代から鏡を祀る時代への変革をもたらしたとの1つの説があるとの事。
あまり観光地化されてないが、これからに期待。
今はただの広場があるだけです。
説明板以外に特に見るものは何もありません。
しかし、この場所、弥生時代後期(1世紀~2世紀)には南北約400m、東西約700mの国内最大級規模の集落がありました。
大型建物群跡の調査から巨大な祭祀空間が存在していたと考えられています。
『魏志倭人伝』には「日本は30余りの「國」に分かれている」との記述があります。
この場所もそういった国のひとつだったのかもしれません。
ヤマト政権が誕生する前の、卑弥呼の時代へ至る過程を想像する上で、興味深い遺跡です。
近くの皇大神社にパンフレットがあります。
名前 |
伊勢遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
保存会の方が詳しく説明してくださいました。
無料で観覧できます。
発掘跡の覆い屋根は京都大学平田晃久教授の建築です。
内装は木のでこぼこ、外からみるとくじらのような形の建物でみていて楽しいし写真映えします。