2017年08月26日参拝。
このお寺は児玉党の宗家を継いだ有荘氏により開基された鎌倉時代からの由緒があります。
荘一族はここから児玉郡本庄氏方面に勢力を広げて行った拠点の地です。
児玉党は比企郡にも勢力を広げています。
関東八十八ヶ所霊場、児玉三十三霊場、武州十二支霊場、百八地蔵尊霊場札所など 本堂が開いていたので上がらせて頂き参拝。
右手に、書き置き御朱印があり、左手には由緒書きやパンフレット。
賽銭箱にお布施を入れて頂きました。
¥300
本庄早稲田駅のところに山崎山(栗林)の中に所在する格式の高いお寺です我が家のお墓もありたびたび行きますそばにマリーゴールドの丘、カインズホームもあり眺めの良いところです小さな子供がいる人は新幹線本庄早稲田駅のところのビューポイントで新幹線の列車が見られ運転士の方が手を振ってくれて感激しますよ。
R2.3.5参拝 関東八十八ケ所霊場86番、関東百八地蔵尊17番、児玉三十三観音霊場19番、武州路十二支観音霊場 御朱印拝受 熱心に霊場巡りをしているみたいだからと関東百八地蔵尊の御朱印は専用の差し替えの御朱印を頂きました。
初めて差し替えがあるのを知りました。
関東九十一薬師霊場みたいに専用の御朱印帳入手出来ればうれしいが難しいだろうな。
再訪2020/3/7拝受 関東八十八ヶ所霊場第86番札所の御朱印と関東百八地蔵尊霊場第17番札所の御朱印を頂きました!2019/2/10拝受 真言宗智山派。
庫裏前の大きな梅の木にたくさん花が咲いて、とても良い香りがしました。
庫裏に可愛い猫ちゃんもいます。
人懐っこくてとても可愛い。
関東八十八ヶ所霊場第86番札所の御朱印(本尊不動明王)を頂きました!
海外からの使節団を受け入れショートステーで文化交流をする様です‼
資料によると、寺伝によると鎌倉時代初期の建仁二年(1202年)有荘氏(後に本庄氏)により開創されました。
有道宿弥武承惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長(荘 家長、しょう いえなが、児玉党本宗家5代目)の嫡子荘小太郎頼家(しょう よりいえ、児玉党本宗家6代目)が平安時代末期の寿永三年(1184年)「一の谷の合戦」で戦死しました。
そして、その妻が菩提を弔うため法印良運を京より迎え一寺を建立し、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった事が当寺の始まりと云います。
これより前、有道惟行(ありみち これゆき、平安時代後期の武蔵国児玉郡の豪族、武将。
武蔵七党の一つにして最大勢力の集団を形成する事となる武士団、児玉党の党祖。
後に児玉惟行と呼ばれる。
)は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していました。
とあります。
境内北側の墓地内に、小太郎頼家の墓と伝えられる古びた五輪塔が現存し、県の指定旧跡になっています。
背後には上越新幹線がこの山を切り通して走っています。
日曜日、せっかく足を運びましたが御朱印は実筆の書き置きでした。
残念。
他に何台も続々と車が来る。
しかも十数台…。
なんでだろ?って思ったらみんな片手にスマホ(。-_-。)ポ⚪⚪ン?呆れてすぐ帰ってきました。
関東八十八ヵ所霊場の札参拝でお伺いしました。
真言宗智山派のお寺で西光山無量寿院宥勝寺といい、霊場第八十六番札所になります。
御本尊は不動明王で、脇侍に二体の仏像が安置されています。
向かって右側に胎蔵界大日如来、左側には大師像としては珍しい日輪大師像を安置しています。
背中の後背が日の出のように真っ赤で、手には五鈷杵(本像では欠落)の他に手には五輪塔を持っています。
宥勝寺は平安時代後期に、この地を治めていた児玉党の六代目の小太郎頼家が一ノ谷の合戦で戦死、その妻が菩提を弔うために一寺を建立し「宥勝寺」と号した。
また自らも徳度して妙清禅尼となったと言われている。
その後当地の近くにあり荒廃していた弘法大師創建の西光寺と合併し、現在のお寺の名前に改称され、以来末寺数十ケ寺を有する地方有数の名刹となった。
江戸時代初期には徳川将軍家より御朱印十石を賜り、江戸時代後期には御室仁和寺の直末となり菊花紋章の使用を許されている。
2017年08月26日参拝。
関東八十八ヶ所霊場第86番。
関東八十八霊場 86番札所。
児玉三十三霊場十九番札所。
庄氏(武蔵七党児玉党)由縁の寺。
雰囲気はあるが、狭く感じるのは、すぐそばを通過する新幹線のせいだろうか。
名前 |
西光山 宥勝寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0495-24-1290 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
関東八十八ヶ所霊場 真言宗豊山派 不動明王様が御本尊 新幹線がすぐ横を通り、お参り中にちょっと👀‼️しました。