幕末の戦争により自刃された場所です。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」にて放映されこの地を知り訪問しました。
150年前にこの場所で自決したのですが、若冠20歳だったそうです。
飯能戦争で振武軍の敗走兵とし飯能から顔振峠経由でこの地まで退却した平九郎は、新政府軍と遭遇。
壮絶な戦いの末にこの場所で切腹を遂げました。
【渋沢平九郎自決の地】HK大河ドラマ「青天を衝け」で岡田健史扮する渋沢平九郎が若干二十歳で自決した場所。
飯能戦争で振武軍の敗走兵とし飯能から顔振峠経由でここまで下りてきた平九郎は、新政府軍との壮絶な戦いの末に2枚目の写真の自刃岩に座して観念の切腹を遂げました。
そして刎ねられた首は越生駅前の法恩寺に、骸はここから程近い全洞院に埋葬されました(その後谷中の渋沢家墓地に改葬)。
たった150年前の話なんですよね。
越生梅林で梅を鑑賞し、周りに他に何か見どころはないかGoogleマップで探した末に、「青天を衝け」は見ていないが、越生町推しの歴史人の一人らしいので、ココに往訪。
ドラマの影響で人気が出たようで、幟旗とか何か新しく感じられた。
彼の運命を今の時代なら不条理で、若くして可哀想にと思うところだが、彼の生きた時代、身分ならば当然の選択だったのだろう。
近くにお墓もあったようだが、興味本位の墓参になるので、遠慮した。
イケメン剣士として有名になった、渋沢栄一の従弟で後に義弟更に養子となる平九郎(旧姓尾高)。
彰義隊から分裂した振武軍に属し飯能戦争で深傷を負い敗走、顔振峠の今の平九郎茶屋で変装、しかし、警戒中の斥候に発見され応戦するも力尽きこの地で自刃。
新政府の支配が手薄な秩父へのルート(正丸峠方面)を勧められたが、何故か危険を冒してまで顔振峠からここ黒山(越生)へ… 故郷深谷への最短ルートを目指したのでは。
追われる身には、山深い飯能の地から一刻も早く逃れ、慣れ親しんだ平野の開けた地に向かいたかったのか?ここを抜けあと少し下れば視界も広がり、故郷深谷までもう山道はない。
20歳そこそこという若さで無念。
大河「青天を衝け」の影響で訪れる人が増えているようだ。
最初に行った2016年の頃は全く人影もなく…
神回だった青天を衝け第25回。
イケメン渋沢平九郎(岡田健史)が振武軍として飯能で戦った後に、落ち延びて自刃した場所。
ドラマでは岡田くんの容姿も相まってとてもエモーショナルなシーンになってます。
渋澤平九郎は渋澤栄一の従兄弟。
栄一が徳川昭武に随行してパリに行く際に見立て養子になった人物。
渋澤成一郎の振武軍に加わり、官軍と戦い、敗れて落ちのびる途中で、安芸広島藩の藩兵に見つかり自刃した地である。
享年20歳だった。
行き長らえていれば、明治時代に活躍した人であろう。
大好きな方です。
永遠に大切にして欲しい場所です。
岩の右下と後方が土砂崩れ(?)で、地面がえぐれていて岩が半分弱、浮いているような感じでした。
何とか修繕してくださると安心なのですが。
名前 |
渋沢平九郎自決の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
明治元年、鳥羽、伏見の戦の後、江戸に逃れて来た渋沢喜作を中心に本多晋、伴門五郎等の他惇忠も加わって彰義隊を結成したが、彰義隊の中心はやがて天野八郎に移り、喜作らは振武軍を起して飯能で官軍と戦うに至った。
上掲遺書はこの時平九郎が家の障子に書き残したものである。
五月二十二日振武軍は敗北し、翌二十三日平九郎は一人逃れて故郷に向う途中、顔振峠を黒山に下った所で官軍に遭い、小刀を振って三名を傷つけて闘ったが遂に切腹して果てた。
官軍はその首を越生の法恩寺の門前に梟し、遺骸は村の人々によって黒山の全洞院に葬られた。