これが諸説あるようで、よくわからない。
荒井神社(嶋物部神社) / / .
新井神社(原文)Arai Shrine
「三代実録」の、元慶六年(882)十月九日の条に「丹波國荒井神城崎神並従五位下」と記されている古社で当地を志麻郷といったことから、式内社・嶋物部神社に比定されている神社。
元慶六年(882)には荒井神と称されていたのに、延喜式の完成した延長五年(927)には嶋物部神社と呼ばれていることに疑問もあるが、志賀剛によると、この間に郡司物部氏が入部したためだという。
「大日本史」によると、丹波国郡司として三人の物部氏が延喜十七年(917)四月に来任しているとあるらしい。
現在の祭神は荒魂神だが、物部氏ゆかりの宇摩志麻遅命とする説もあり、宇摩志麻遅命の荒魂神であるという。
ただし、当社は母乳の出を良くする神として信仰されており、荒魂神は似つかわしくないという意見もあるらしい。
元は現社地から60mほど上った場所にあったようで、西南の役で殉死した京都府下の104名の名が刻まれた明治記念碑が立っているという。
名前 |
荒井神社(嶋物部神社) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
式内の論社とされるが、どこの論社かというと、これが諸説あるようで、よくわからない。
御祭神からすると、物部氏の祖神のお社だったが、後に藤原氏の荘園か何かになって、春日社になった時期がある?覆屋の中に朱塗りの本殿がある。
覆屋の扉には、アライグマの被害防止のため、扉を閉める旨の表示がある。
荒井神社にアライグマ。
しかしこれは笑えないな…。