土塁と水堀で囲まれた中世の居館跡。
散歩がてら久しぶりに訪れました。
もうおそらく、40年ほど前に、父に連れられ、遊んだ記憶があり、今回ゆるりと回りました。
綺麗に整備された感じがありましたが、昔懐かしい面影偲ぶことも出来、安らぎの時を感じられました。
ウォーキングを楽しむ方や、寒い中元気に外で遊ぶ子供たち、神社境内の説明を聞いている方もおり、老若男女問わず、訪れやすい場所ですね(^∇^)お腹が空いたら、すぐ横に食堂こまどりさんもあり、食も楽しめます。
じっくりと観察しなければ城跡と気がつかないと思います。
少しでも散策すると立派な土塁が残っているのでああ城跡なんだなと気づけます。
素晴らしい城跡です。
土塁の裏手に市川様の銅像、明治政府に協力した地元の英雄らしいです。
堀川の清流、梅花藻がいっぱい生えています。
表門の所胴回り50センチの鯉、池の主かな?、お前わざわざ良く来たな〜と挨拶されました。
土塁がすごい。
城山公園という名前ですが、伴野城跡という城跡のようです。
こじんまりとした公園で、遊具はありませんが桜がとてもきれいな公園です。
池には鴨がたくさんいます。
人に慣れているようです。
伴野氏の居館。
廃城後も陣屋などに利用されたとある。
土塁が良く残る。
土塁がガッツリ残っています。
説明文もあります。
近くにあったらいいなと思える公園でした。
土塁と水堀で囲まれた中世の居館跡。
土塁の規模が大きい、特に敷幅の巨大さは必見です。
土塁がドーン♪ よく残ってくれた。
小高いところに、石碑があるけど、見つけにくい!
名前 |
伴野城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
伴野氏館跡。
戦国時代、佐久地域は北側は大井氏、南側は伴野氏が支配し、お互いに覇権争いを繰り返した。
伴野氏は度々甲斐国の武田信虎に援軍を要請し、武田の信濃侵攻の口実を与えてしまった。
虎口を南に置き高土塁と水濠に囲まれた方形居館跡で、中野市の高梨氏館跡と並び貴重な室町時代の遺構を現在に伝える。