標高812m、比高約50mで車が横付けできる。
標高812m、比高約50mで車が横付けできる。
中央道でぶったぎられて削られた城跡あるある(^o^;畑の間に堀跡があって発掘調査では深さ7mあったらしい(^o^ゞ奥のお墓辺りも城域っぽいトコがあるケド、改変されててワカラナイ┐( ̄ヘ ̄)┌眺めがイイトコだったよん♪
築かれた年代は不詳だが室町時代には千野氏の居城として登場し諏訪大社の上社と下社との対立に巻き込まれていたことがわかる。
千野氏は上社大祝家に属して下社金刺氏と争っていたが、天文11年(1542)に武田信玄の諏訪侵攻により落城し6年後に破却されている。
武田氏の修築は多少はあるのかもしれないが、現存する遺構のほとんどは千野氏により築かれた当時の姿を残していると言えるだろう。
南方御社に土塁と堀切が残り高速道路の反対側にもわずかな堀切の痕跡を残す。
主郭から坂道を下る途中にも畑となった郭が連なり立派な空堀が残っていた。
大熊城の遺構の中でもっとも旧態をよく残す部分だと思う。
名前 |
大熊城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.9 |
行きやすくて可愛いお城跡の諏訪大熊城。