四阿山神社(町指定史跡) / / .
名前 |
四阿山神社(町指定史跡) |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0274-52-2586 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.town.kamikawa.saitama.jp/soshiki/shogaigakushu/bunka_rekishi/machishitei/565.html |
評価 |
3.0 |
神川町指定史跡「四阿山神社」(しあさんじんじゃ)御祭神 四阿山大神(四阿山大権現) 日本武尊 橘姫尊 大山津見神境内社 熊野三社神社 金鑽神社 山神社御縁起(歴史)当地は中世の阿久原郷です。
承平三年(933)四月の勅旨で官牧として阿久原牧(埼玉県指定旧跡)が設置されました。
児玉党の祖である有道惟行(遠峯)が牧の別当であったといわれ、字秩父瀬には惟行を祀るとされる有氏神社が鎮座しています。
また、飯盛山麓に祀られている駒形明神社は惟行の創建といわれ、阿久原牧の守護神として児玉党の信仰が厚かったといわれています。
阿久原村は、中世末の文禄三年(1594)以前に上・下の二か村に分離しています。
江戸時代には幕府領地や旗本鳥居氏の知行地となりました。
明和元年(1764)の村明細帳には「紙舟役永、紙売出永」の記載があり、下阿久原村でも和紙を漉いていた事が分かります。
社伝によると、景行天皇四十一年に日本武尊が東征の際に当地で休息したことから、村人が威徳を敬慕して祠を建て、この祠が後の当社といいます。
四阿山の文字を古くは「阿豆麻也」と称したのは、日本武尊の「吾嬬者耶」の詞に由来するといいます。
社殿の建つ横隈山の大石を武石というのは、尊が腰掛けて休息された石であるためといいます。
また、当社は和銅七年(714)の勧請とも伝えられています。
大正十年(1921)に本殿の位置を変更し拝殿を新築、昭和六十三年(1988)に本殿の修理を実施しました。
(境内案内板より)四阿山(あずまやま)という名前の山は、長野県と群馬県の県境にあり標高2354mの日本百名山の一つで、吾妻山・吾嬬山(あがつまやま)とも呼ばれています。
鳥居には「四阿山大神」、境内の燈籠には「四阿山大権現」とあるので、四阿山をご神体とする山家神社が総本山ではないかとも考えられます。
(サイト「かんな接骨院」より)