不動さま、駐車場はいくつもある。
秋山御嶽神社(あきやまみたけじんじゃ)御嶽神社は、当地に十数軒ある飯島一族の氏神様で、古くから子孫繁栄、夫婦和合の神様として敬われ、毎年春の彼岸には一族が集まって祭りを行っています。
神社のある所は、南北朝時代の南朝の勇士秋山新蔵人光政公の館跡と伝えられる場所の北西隅にあたるので、創立はその頃ではないかといわれています。
境内は戦後非常に狭くなってしまいましたが、二十二夜様や庚申様の石像もあり、飯島正玄という人物が奉納した安永年間(1772~1781)の燈籠もあります。
御神体は石棒で、神社の南側の民家に安置されていて、長さ56cm、太さ(周長)47cm、重さは23kgあり、普通の石棒より丸みが太く、石質も良く、破損もしていない貴重な品です。
その型に慣ってか、大小様々な石棒が人知れず奉納され、あまりの多さに氏子が時折取り片付ける事もあります。
このあたりでは、一名秋山の大魔羅様と呼ばれ親しまれています。
(境内案内板より)秋山新蔵人光政公は、甲斐源氏出身とされる南北朝期の人物で、京の賀茂河原において丹党安保肥前守忠実と一騎打ちをした事で知られています。
また、長瀞町の仲山城城主阿仁和兵衛直家と争った秋山新九郎続照は、ここの秋山氏の一族ではないかと言われています。
(サイト「儀一の城館旅」参照)
ここ御嶽神社と、200m位南にある秋山新蔵人神社に挟まれた土地が、秋山新蔵人光政の居館跡のおおよその範囲だそうです。
御嶽神社の案内板に、秋山新蔵人と居館について少し触れられているのが手がかりになります。
秋山新蔵人は甲斐源氏の秋山氏と同族とされているそうです。
光政は南北朝期の人物で、京の賀茂河原において丹党安保肥前守忠実と一騎打ちをした事で知られているともあります。
名前 |
御嶽神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.3 |
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不動さま、駐車場はいくつもある。