伊豆国は古代東海道に属し、下国。
コロナ禍のなかで住職自ら御朱印を書いていただき、お守りもいただきました、本堂の裏にも国分寺時代の礎石が残っていて当時を偲ぶことができます。
国分寺は、奈良時代に聖武天皇の命により、各国毎に建てられた国立寺院です。
天平13年(741年)頃から徐々に造られたものと云われています。
当時頻発していた災害・作物の不作・飢餓・疫病の蔓延等の世情の不安を仏教の力で打ち払い国の安寧と五穀豊穣を願ったものと云われています。
その時下された『国分寺建立の詔』には①本尊は、一丈六尺の釈迦牟尼仏とする②常時20名の僧を常住させる③七重塔を建立する等が定められていました。
三島に国分寺が建立されたのは、伊豆国を統轄する『国衛(現在の県庁)』が置かれ中央から派遣された『国司』が政務を執り行っていた事によります。
国分寺に八個の大きな礎石が残され七重塔の礎石ではと考えられています。
昭和31年の学術調査の結果、国分寺は東西80間(約145m)南北(約181m)の長方形の区画に、南門・中門・金堂・講堂・僧坊・七重塔・鐘楼・経楼や金堂と中門を繫ぐ廻廊を持つ【東大寺式伽藍配置】の大伽藍の寺院であった事が確認されました。
聖武天皇の発願により各国に造られた国分寺と国分尼寺のひとつ。
伊豆国の国分寺の後継寺。
江戸時代に一度廃れており、再興時に日蓮宗に改宗。
それ以前は真言宗だったそうです。
当時の伊豆国分寺の七重塔礎石北半分がそのままの場所で残されており(但し一番西側のふたつは少し移動している)、なかなか感動的な場所。
伊豆国は古代東海道に属し、下国。
三島の市街地の西辺に有る。
礎石と基壇の一部が残り保存されている。
由緒あるお寺ですが、これと言って特徴はないかなぁ~
七草粥に参加しました👌懐かしい歌や厄除けの御守りを友達の分までいただいて来ました👌住職さまのお話もよかったです🍀
由緒あるお寺です。
お寺ですポケモンはたくさんいます。
御朱印が、素敵だと投稿あり伺いましたが、法事の最中で、手書きではなく書かれてる御朱印頂きました。
心落ち着くお寺ですよ🐱住職様も親切ですね。
居心地のよいお寺。
子供が社会見学でも行く、由緒ある場所です。
町並に埋もれた「国分寺」
歴史を感じますね。
トイレがなかった気がする。
名前 |
伊豆国分寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
055-975-2036 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.6 |
「由来」はどうあれ、京都や鎌倉の「お寺」と違って、何か、しっくりしないな。
鉄筋コンクリート造の建物のせいかな?・・・自然じゃない感じ。
違和感があるな。
木造のお城はいいが、鉄筋コンクリートで再建された天守閣の違和感と、似たような感覚かもしれない。
もちろん、宗教とは別の話だけど。
********************************朽ちていく趣ってあるよね。
木材の年輪が際立ってくるとか。
くすむとか・・・。
木造なら、年月を経ることがプラスになるけど、鉄筋コンクリートは、劣化だからね。
マイナスだよね。
ひび割れてサビていく。
「朽ちる」とは、ちょっと違う。
それに、冷たい。
・・・土に戻るのと、瓦礫で捨てられる違いかな。
********************************・・・そう感じる方も、いるようだ。
「由来」で訪れる価値はあるけど、京都や鎌倉の「お寺」の風情を期待してはいけない。
周辺も、今では、寂れた感じがする。
・・・ここでの時間があるなら、源兵衛川を歩くことを勧める。