名前 |
簗瀬神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0494-66-0042 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
簗瀬神社主祭神 日本武尊 天之狭霧神合祀神 大山祇神 天手長男神由緒日本武尊が東国平定のみぎり、この地を過ぎさせられ御休息遊ばされたので、里人たちは尊を追慕し、弘安元年(1278)宮祠を建てて奉斎したと言い伝えられています。
矢那瀬の地は上郷・下郷に分かれ、この社は上郷の鎮守として祀られています。
日本武尊で尊の徳を称える里人が、弘安年中(1278~1288)に祀ったと伝えられています。
矢那瀬の地は、北の大月山と南の金尾山が荒川岸まで迫り、また複雑な地形が濃霧を発生させる交通の難所であるため、正安年中(1299~1302)に天之狭霧神を併せ祀り、「霧明神」とも「霧の宮」とも称しました。
寛保三年(1743)には、他地区で大洪水がありましたが、矢那瀬は平穏無事であったといいます。
元禄三年(1690)の棟札には「毘沙門天宮」と記され、社蔵されています。
一間社流れ造の本殿は、室町期の風を残すともいわれ、とりわけ拝殿は東西の割拝殿という極めて珍しい形式のもので、群馬県片品鎮座の武尊神社に同形式の拝殿がみられます。
群馬県片品鎮座の武尊神社の拝殿は、同族や集落によって東西に分かれ、祭祀を行う宮座によって生じた形式であることから、当社も古くは同様の祭祀組織のあったことが想像されます。
なお字北久保の地蔵堂には、室町時代の特徴を示す埼玉県指定有形文化財考古資料の「石幢」があります。
(ブログ「はるんの気ままにぶらり」及び「境内案内板」より)本殿覆屋内には、向かって左手には小さな「稲荷神社」、右手には「三社神社」が並んで祀られています。
境内地右後方に「天手長男神」石碑があります。
拝殿は、この辺りの地域ではとても珍しい、参道が中央を貫く形式「割拝殿」です。
以前は村芝居などがこの拝殿を使って行われていて、昔は茅葺の屋根でしたが、昭和三十四年(1959)の伊勢湾台風のとき、境内の大木が倒れて拝殿が壊れてしまったため、今のようなトタン屋根になったとのことです。
(サイト「古社巡拝録」より)