神社のこと色々説明してくださいました。
白絲濱神社(しらいとはまじんじゃ)は京都府舞鶴市の東部。
京都府舞鶴市浜の与保呂川沿い東側の鎮守の森に鎮座する大正2年(1913年)に建立された比較的若い神社です。
ご祭神月読命保食命事代主命大物主命五男三女神稲田姫命素盞嗚命倉稲魂命旧社格府社新舞鶴町の氏神です。
地域住民から大切にされているようで、立派で綺麗な落ち着いた神社です。
大正2年(1913年)の舞鶴軍港化に伴う東地区の大区画整理に伴い、稲荷神社・蛭子神社・水無月神社の三つの神社を合祀して出来たのが白絲濱神社です。
現在、水無月神社跡地には近畿財務局舞鶴出張所、稲荷神社跡地には八島公園、そして蛭子神社跡地は七条商店街の一部になっています。
境内には、社号石標、狛犬、明神鳥居、石灯篭、青銅の灯篭、拝殿、摂末社などがあります。
「白絲濱神社」と刻まれた社号標石が建てられています。
参道の明神鳥居には「白絲濱神社」と記された扁額がかかっております。
拝殿には「蛭子大神・水無月大神・稲荷大神」と記された扁額がかかっております。
本殿は流れ造りです。
摂末社は、白絲濱天満神社、大杉稲荷大神、石清水八幡神社、淡島神社、秋葉神社、金毘羅大権現など。
立派な青銅の灯篭が配置されています。
手水石に使用されてる石は、与保呂川沿いで500メートルほど上流東側の長谷山にあった古墳(長谷山古墳)の石室に使っていた石の中のひとつを加工したものと伝えられてます。
(2021/5/8撮影)
もともと私がこの神社に注目してお参りしてみたいと思ったのは、但馬地方(兵庫県北部)の神社にお参りするとよく「表米親王」という古代の皇子がお祀りされていたからでした。
表米親王とは開化天皇の系譜の飛鳥時代の皇族、あるいは大化改新時の孝徳天皇の皇子とも。
この表米親王が但馬国造家の始祖であり豪族の日下部氏の先祖であるとされているらしい。
そして表米親王、丹後の「白糸浜」に侵攻した朝鮮半島の新羅の軍勢を天皇の命令によって将軍として撃退した、ということになっている。
だからてっきりこの神社が表米親王ゆかりの、古代から続く古い神社だと思ってました。
神社としては割と新しい、そして表米親王とはまったく無関係の神社なんですね。
地元の神社!
とても気さくな宮司さんがいる神社。
特に何も無いけど 昔ながらの神社雰囲気が良い 夕暮れ時の写真です。
東舞鶴の街中にある神社で正式には白絲濱神社と記すようです。
割と大きな敷地で立派な本殿はもちろん敷地全てが綺麗に整備されてました。
御朱印も御願いしたら快く書いてもらえました!
明治期に習合された神社ですが❢神主さんは舞鶴の最も古い家系です。
毎年初詣に行きます。
名前 |
白糸浜神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0773-62-1845 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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