名前 |
佐波加刀神社 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0749-86-3623 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.8 |
「佐波加刀」と書いて、「さわかと」と読みます。
何度も再興された、不死鳥のような神社です。
【由緒】式内社・佐波加刀神社に比定されている古社。
佐波加六所明神とも佐波加刀七社明神とよばれていました。
当初は、百聞山に鎮座していましたが、天平年間に現在地へ遷座したといいます。
社伝によると、当初鎮座していた、百聞山は僧・行基が開いた山とされ、その後、荒廃してしまいます。
建久元年(1190)良峰宗勝により再興されます。
以後、戦乱により何度か荒廃したが、その都度、再興されたといいます。
主祀神は、開化天皇の皇子・日子坐王。
他の神々は日子坐王の御子たち。
この社は、日子坐王の後裔であった淡海国造が祖先を祀ったものとされています。
日子坐王は、第9代開化天皇の第三皇子で、第12代景行天皇の曾祖父です。
彦坐王(ひこいますのみこ/ひこいますのおう)という呼びかたがポピュラーかもしれません。
御母は姥津媛命であり大俣王以下七柱の王方は何れも同皇子の御子であります旧事本紀(十国造本記)に本社の祀神たる彦坐王の3世の孫大蛇牟夜別を成務天皇の後世淡海国造に定められたとあります。
その後、中世神仏習会の際、いつしか東林坊という神宮寺ができ、建久元年良峰宗勝、本殿を再興し、又応永26年火災にて、神社仏堂ともに焼けてしまったとのこと。
同29年領主京極高光、之を再興し又永享年中、将軍足利義教、上司に禄を与え神領を寄せるなどし再興されました。
しかし戦国乱離の世となって、荒廃していまいます。
後に、渡辺勘兵衛推庵豊臣秀吉社殿堂舎の修復をしましたが、江戸時代には彦根藩の藩主の参拝又代参寄進等により、万治3年・嘉永3年等の再建を経て現在の社殿となっています。
明治9年、村社に同41年神饌幣帛料供進神社に指定され、現在に至ります。
【一宮の神紋】参道の神馬像に、神紋が付けられており、由緒石碑には、「一埜宮という文字を図案化」したものだされています。
【境内の大杉】神社の境内にあります「権現の杉」は、天然記念物ではないが、滋賀県の名木指定を受けています。
その大きさを目の当たりにすると、ただただ、思いを動かされます。