蒼龍寺駐車場を利用されると良いかと思います。
南酒出城の築城は鎌倉時代にまで遡ります。
源頼朝に敵対した佐竹秀義は領地を没収されましたが後に許され奥州征伐の軍功を挙げました。
秀義の次男義茂は承久の乱で活躍し南酒出に領地を与えられ南酒出氏の祖となります。
南酒出氏が美濃へ赴任すると同じ佐竹一門の東義堅が酒出氏を名乗り南酒出城主となっています。
佐竹義宣が徳川家康の不興を買い出羽へ国替えされたことで南酒出城も廃城とされたようです。
南酒出駅から城跡までは歩いても20分程度で茨城県らしい田園風景を楽しみながら歩いているうちに蒼龍寺へ着きました。
すぐ近くに案内板があり縄張りがわかります。
台地続きに南へ歩くとすぐに二の郭の土塁と空堀が迎えてくれます。
二の郭の西側の守りは厳重そのもので二重の土塁と空堀が守っていました。
主郭へ訪れると深い空堀で守られ土橋を従えた厳重な虎口が備わっています。
広々とした郭は杉林となっていますが西側を巨大な土塁が囲んでいました。
北には北酒出城がありますが、こちらは遺構はありません。
素晴らしい。
蒼龍寺駐車場を利用されると良いかと思います。
看板もお寺さんの入り口付近にあります。
名前 |
南酒出城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
承久の乱の宇治川の合戦(1221年)の功で与えられた当地に,佐竹秀義の次男・義茂が南酒出氏を称して当城を築城したのがはじまり。
その後,南酒出氏が美濃国山田郷に転封した後はしばらく廃城の状態が続いたが,佐竹義賢が酒出氏を名乗って城を再興。
関ケ原の合戦後,子孫の酒出義忠は佐竹氏の秋田転封に従い,城は廃城となった。
一説には,南酒出城は天正17(1589)年頃,江戸氏・佐竹氏と額田城の小野崎が戦った際に築かれた一時的な陣城ではないかとの説がある。
蒼竜寺の駐車場前に大きな案内板があり,そこから南へまっすぐ進んだ杉森の中が南酒出城跡です。
所々案内板があり,たぶん有志の方によって,かなり整備された歩きやすい見事な城跡といっていいでしょう。
規模からしても一時的な城であるとはとても思えません。
なお,杉林の道にあった「おちよ桜跡地方面」の案内板。
気になってその方向へ森の中を下ってみたのですが・・・う~ん,ここかなぁ。
桜っぽい木がありますし。
でも,「おちよ」も「跡地」の意味が分からずとても気になるのです。