日差しが程よく入り風通しもよくとても気持ちいいが良...
美女ヶ森にある由緒ある神社です。
実際に行ってみると河岸段丘の縁に位置していて河川や田圃が見晴らせる場所にありました。
創建はヤマトタケルのスメラミのミコト(倭健天皇命)が故郷のAmwaの国を出征し、この地方を侵略した際に巨木の杉の元で仮宮(軍事キャンンプ)を作った事に由来するそうです。
この神社には神代文字で書かれた由緒書きがあります。
神社の秘宝なので公開はされていませんが、国宝級の価値のある古代文書です。
美女ケ森との記載が、入口の石碑に。
綺麗にお掃除されていました。
御朱印を頂こうと電話したら、社務所の人がおられました。
綺麗に整備されている神社でした。
休日でもとても静かで、散歩がてらに寄るには個人的に最適です。
日差しが程よく入り風通しもよくとても気持ちいいが良くなる神社でした⛩
パワーを感じる神社でした。
重厚な雰囲気のある神社です。
上伊那でも歴史ある神社であり、秋の祭典の御練りが駒ヶ根市無形文化財ななっています。
賑わいがありました❗
ヤマトタケルノミコトがお寄りになり、接待したところから、大御食の名を賜ったそうです。
そして、そのお相手をした姫が美しかったので周辺の森を美女が森というのだとか。
その神話を感じさせる厳かな感じをうけます。
小町屋駅が徒歩10分程度、気軽にお参り、散策に行けます。
格式高い雰囲気の神社です。
神木が良い。
小さな神社ですが雰囲気も良く私は好きです。
子どもの頃からお世話になってます。
秋祭りやお正月などは賑やかですが、普段は静かで良い場所です。
日本武尊が東征の帰りに滞在されたとされる地です。
森に囲まれ少し暗いですが、神社の雰囲気は素晴らしく、御蔭杉には圧倒されます。
社務所で書置きの御朱印をいただきました。
JR飯田線「小町屋駅」から徒歩約20分にある旧社格「郷社」で、献幣使参向指定神社だ。
由緒は、「日本武尊(やまとたけるのみこと)」(「古事記」では「倭建命」)東征の帰途、当地にて饗応した里長の赤須彦が、118(景行天皇48/皇紀778)年に「日本武尊」を祀り「大御食ノ社(おおみけのやしろ)」と名付けたことに始まるという。
「日本武尊」が東征の帰途尾張で娶った「宮簀媛(みやずひめ)」(「古事記」では「美夜受比売」/「五郎姫(いついらつひめ)」とも)を307(応神天皇36)年に迎えて祀っていることから、同神社のことを地元では「美女ヶ森(びじょうがもり)」とも呼んでいる。
他に、879(元慶3)年に山城の国より迎えた武運の神「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」(「八幡大神」とも)を合祀している。
なお、「日本武尊」は「清々しく弥栄えて丈高く奇杉なり」と愛でた大杉の元で、酒餞の饗応を受けたとされ、以来「御蔭杉」と称し御神木として植え継がれて現在は3代目という。
社宝は神代文字による「神代文字社伝記(じんだいもじしゃでんき)」だ。
本殿は1864(元治元)年に建替えられたもので、立川流彫刻技法による大規模社殿建築として市有形文化財に指定されている。
例大祭は9月第3日曜日で、旧赤須村の9行政区を5年番区に編成しての獅子練りが大規模に行われている。
また、昭和32年より宮司を務めた小町谷常是(1892~1973)氏は、地元「赤穂小学校」「赤穂中学校」「赤穂高校」校歌の作詞者として知られている。
【追記】柳田國男「一目小僧その他」(昭和9年7月 小山書店)に、「上伊那郡赤穂の美女森の社の神を五郎姫神といひ、即ち日本武尊に侍かれた熱田の宮簀姫の御事だと申してゐるが、これなどは姫神を五郎といふので殊に珍しく感ぜられる。
」の記述がある。
鬱蒼とした鎮守の森が素晴らしい。
樹齢千年を超える杉の御神木があります。
社殿は古いですが境内は綺麗に管理されている印象です。
落ち着いた雰囲気は格別です。
社殿まで3つの石段を登りますが足のいたい人にはきついかもしれません。
御朱印は社務所で。
名前 |
大御食神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0265-83-7606 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.kankou-komagane.com/spot/inspection2.php?id=173&c_id=1&cj_id=3 |
評価 |
4.1 |
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神社周辺環境☆3 参道☆3 境内☆3.5 社殿☆4.5