室町時代の大塔合戦の舞台でもある山城。
眺望は素晴らしい❣️石積みが多く残り山城ファンには見所の多い城跡です🥷
珍しい 昇り石垣が見れます。
応永7年の大塔合戦の頃から赤沢氏の居城でした。
戦国時代は塩崎氏が支配しました。
天文22年に塩崎氏は屋代氏とともに武田信玄に出仕したことにより、川中島進出の前衛拠点として利用された。
永禄7年第5次川中島の戦いでは、北信濃へ進軍した武田信玄はこの塩崎城に布陣し、川中島出兵した上杉謙信と対陣したそうです。
標高569m、お寺からの比高約200m。
長谷寺の裏のたくさんの石像を観ながら急斜面を登って行くと岩場に出る。
巧く防御に利用してそう。
段々曲輪を更に登ってゆくと石積がある♪曲輪背後に土塁がある信濃山城あるある♪さらに奥は..連続堀切からの~♪畝状竪堀.扇堀バージョン♪\(^o^)/しかし..この半兵衛の腕ではウネタテ扇堀は写せなかった...。
(〃_ _)σ∥
室町時代の大塔合戦の舞台でもある山城。
現在残る遺構は戦国期のもの。
別名白助城[しらすけじょう]とも呼ばれる。
応永7年(1400)の大塔[おうとう]合戦の頃から赤沢氏の居城であったが、戦国期には塩崎氏が支配した。
第四次川中島の戦いで、始めに武田信玄の本陣が置かれたのは茶臼山ではなく塩崎城だったとする説もある。
名前 |
塩崎城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
長谷寺に案内あり。
急峻だったため、入口で撤退してしまいました。