iPhone11 pro パノラマ機能で撮影。
依田城跡(内山城跡) / / .
比較的登りやすく、眺めがとてもいい。
標高803m、比高約270m宗龍寺の横に登城道、案内板があったズンズン登れば段郭が見えて♪主郭にたどり着く朝イチで来て日の出を見れた\(^o^)/背後に岩盤堀切が連続してる♪さらに裏の山に登ってみた標高900mを越えてさらに絶景(^^)d隣の丸子城が真下に、続いて根羽城、そして鳥羽城がよく見える(o’∀`)ノ案内プレートが付いてて山歩きのコースになってるみたい帰りは隣尾根の岩屋堂裏の砦からくだってみたチョットした堀切、とおせんぼ岩に 下は崖など、ちょっとアドベンチャー北側の麓には木曽義仲の館跡や旗揚げの地などなどもあるよんεu003dヽ( *´▽`)ノ
ご先祖さまの神社。
iPhone11 pro パノラマ機能で撮影。
2021年2月28日。
依田城跡(内山城跡)(805m/250m)石垣,土塁,郭,堀築上主:依田氏上田市御嶽堂平安後期木曽義仲に従った名門清和源氏依田氏の山城跡景色はとても良い麓には依田神社もある云わずと知れた全国の依田家の発祥地。
平安時代末期、依田氏の祖依田為実の子、次郎実信は、依田城に本拠を構えていたが、木曽義仲が挙兵の際に拠点とする為、城を明けたという。
居館跡とされる宗龍寺背後の山が城址。
丸子地区にはこの他に依田城と呼称され、木曽義仲にかかわる城と伝えられるものがいくつかある。
引用源満快の曾孫・源為公が信濃守となり、現在の長野県上伊那郡箕輪町上ノ平に居館を構え、主に南信濃に広がる信濃源氏の祖となった。
依田氏の祖は為公の六男「依田六郎為実とされ、東信濃の小県郡に依田城を築いて本拠地とした。
文治2年(1185年)源頼朝が全国に守護・地頭職を置いた際、為公の六男「六郎為真」が依田庄地頭として入部したとする説もある。
また、佐久郡大井庄の地頭岩村田大井氏(小笠原氏の支流)の分流とする説もある。
引用。
冬は景色がとてもきれいです。
北アルプスの方 鹿島槍方面。
宗龍寺から左の林道を入って行くと登山道の案内がある。
城址まで急な直登が続く。
山頂からの景色は良い。
名前 |
依田城跡(内山城跡) |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
絶景です。
スズメバチに注意して下さい。