歴史を知る上では、楽しめる場所だと思う。
田植えが済んだ5月、水鏡に映る古墳は水面に浮かんでるようで別名 淡島さま の謂れなのでしょうか?削り取られたとの記述がありますが綺麗な台形の盛土の上に容良く残る前方後円墳です。
田んぼの真ん中にあります。
イメージしていたよりは小さいですが、立派に古墳の形でした。
天栄村で古墳に遭遇。
ここには5年前の今日訪ねたことがあります。
説明板にはこのように書かれていますが、かなり意味不明でした。
墳丘は圃場整備でかなり削り取られており、築造当初の姿を発掘に拠らずに復元するのは難しそうです。
帆立貝式とありますが、私が今まで見聞した範囲の帆立貝式古墳としては前方部が高すぎます。
よって、私はこの古墳は帆立貝式古墳ではなく、県教委の説明よりやや古い可能性があると思います。
説明板には「4周の周壕」とありますが、直南には小河川が流れており、傾斜がきついので、そこまでの周壕はあったかどうか字限図を確認しないとわからない。
周壕そのものもそんなに大規模ではない中期古墳、といったところでしょうか。
天栄村盆地の東西に張り出した舌状台地に挟まれた傾斜地にこの程度の前方後円墳を周濠を伴った形で築造するにはため池を造る技術が必要だったと思います。
なぜなら、周濠を2分割して中間部に堤敷を設けてため池として建造しなければ池から水が溢れてしまうからです。
「4周の周壕を造る」となると傾斜地でどうなるか想像してみてください。
大阪や奈良の古墳でもそうですが、傾斜のある扇状地で周濠を造る場合、高い側の周壕と低い側の周壕とを「あたかも一つの堀」のように見せるには、ふつう「どこかで土橋や堤でも造らない」かぎり、一周の堀にならないでしょう。
龍ケ塚古墳は平地の少ない小盆地の田の中に築造されています。
周壕を4周まわすには相当な土木技術が必要であり、そのような技術を駆使することができる豪族が埋葬されていると私は思います。
この古墳の主軸長は36メートルあり、その主軸が盆地の傾斜に直角方向、すなわち東西に伸びているのはこの傾斜地でできるかぎり長い古墳を築造しようとした(ヤマト王権にこの規模の古墳を造ってもよいと認められた)地域の豪族の権力の意思かと思います。
そういう意味で阿武隈川の支流に墳長36mもの前方後円墳が築造された意味は大きい。
東山道の通過地点も近い。
福島県内の重要な古墳であることは確かだと思います。
田んぼの真ん中に、よく残ったモノだ⁉️
六世紀中葉の帆立貝式前方後円墳です。
全長36㍍と決して大きくはないですが、この地方では最大級の規模で、この近辺がかつては石背國の中心地だったことが伺えます。
長閑な田園の中にポツンと佇み、墳頂に登ると西には二岐の山並を望む、綺麗に整備されている古墳でした。
大きくはないけれど手入れされていて地域の方々に大切にされているなぁと感じました。
1400年前に思いを馳せました。
歴史を知る上では、楽しめる場所だと思う。
仕事で近くを通過していました。
名前 |
龍ヶ塚古墳 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0248-81-1030 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
4.12.30パワースポットらしい。
周りには田んぼしかない。