名前 |
十二御前 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
十二御前天正13年3月25日、いわゆる薄葉ヶ原合戦があり、塩谷伯耆守義孝に従軍した山田城城主山田筑後守業辰はこの戦いで討死。
業辰の正室、菊の前は11人の侍女たちと共に、家臣山田新左衛門の助けを受け落ち延びるも、新左衛門は追手にただ一人で立ち向かい壮絶な最期を遂げた。
菊の前一行は、かつて城主や家臣達と共に、春は桜、秋はもみじを楽しんだ「花見どや」の近くまで辿り着いたものの、ここで観念し、一同箒川の淵に身を投げ、哀しく自害したと伝えられている。
近隣の関根の人々は、菊の前一同を憐れみ、毎年供養を行なっていたようですが、関根が廃村になるとともに、その記憶が失われてしまいました。
今では史跡、供養塔など一切残っておらず、正確な場所は今では不明のようです。
なお、菊の前一同が哀れな最期を遂げたのが、十二夜であったとされていることから、十二夜御前と呼び、毎年旧正月12日に供養を行なっていたとされています。