田んぼと山以外にはな~にもない。
田んぼと山以外にはな~にもない。
柳がポツンと立っているだけ。
西行法師と芭蕉がここに来て俳句を詠んだのははるか数百年前。
何にも無いところなのに何故か何度も行きたくなる不思議な場所。
ゆっくりとじっくりと自分を見つめようか。
そして、また来た。
遊行上人がこの地で柳の精を成仏させたと伝えられる。
松尾芭蕉の奥の細道に記述があることで一気に知られるようになったとか。
西行、蕪村の句碑もあり、この辺りでは歴史に深いスポットの一つとして、訪れる人も多いそうです。
PROJECT 9b のスポットの一つでもありますので、スマートフォンをQRコードにかざして見られる動画からキャラクターの説明により歴史を学ぶのも楽しいです。
かなりマイナーな場所です。
写真は2月頃のものになります。
ナビだと直で柳の前までになりますが、駐車場は少し離れたところにあります。
広い駐車場と物産館があります。
気になる方寄ってみても良いかも。
桜の時期は混むのかな?ここには、ゆうげんがいます。
奥の細道 芭蕉由来の地です。
芭蕉の句碑があり、柳が2本左右に有ります❗️確かに古いのが、わかりました。
けど😦ビックリしたのは‼️その奥にお堂がありますが、ソコには420年の銀杏の大きいのとコブが垂れ下がっていて、又、二本の対になって左右に欅が天をついてたっていました。
🤩歴史を感じました✌️😊。
芭蕉と曽良が〔遊行柳〕を訪れたのは元禄2年(1689)4月20日のことで、「奥の細道」本文には「又、清水流るゝの柳は蘆野の里にありて、田の畔に残る。
・・・」と記されている。
以下、歌碑・句碑を紹介すると、・ 西行歌碑 道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ「奥の細道」に引用されている西行の歌の碑。
・芭蕉句碑 田一枚うえてたち去る柳かな 芭蕉遊行柳での作で、「奥の細道」本文にも収録されている句。
碑は寛政11年(1799)建立。
・蕪村句碑 柳散 清水涸 石処々(柳散り清水枯れ石ところどころ) 蕪村句は寛延3年(1743)の作といわれる。
(再投稿)
Google Mapのナビで行くと、目的地の背面から田んぼのあぜ道を進めということになるので注意。
294号線から近くに停めて徒歩にて近づく。
周りは田んぼ、稲がたわわに実り美しい。
ただこの柳が芭蕉の頃のオリジナルではないだろうと近隣から見学にきたおじさんが言っていた。
遊行(ゆぎょう)柳の奥に寂れた湯泉神社があり、そこに樹齢420年、那須町天然記念物のいちょうの木がある。
高さ35M、幹回り610CMとある。
これは一見の価値があるので忘れずにみておきたい。
ウォーキングの為、寄りました。
約一時間芦野町内を散策しました🙆
季節を通しての癒し場所です。
寂しい。
隣接店舗は、火曜は定休日なので農産物直売所、食事処は、休み。
グラスや陶器など置いてあり入り口には菊の花、トイレも有り左戸開けると店。
ゆぎょうやなぎ。
西行法師や松尾芭蕉などに縁のあるスポットです。
ここに佇むとまるで時間が止まっているような感覚に囚われる。
松尾芭蕉所縁の地。
奥の細道の歩き旅で訪れました。
西行法師も訪れた場所です。
温泉神社の参道にあり、一の鳥居も建っています。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の道中で立ち寄った「芦野の里」「遊行柳」の下で詠んだ一句「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」は、芭蕉翁が崇拝する「西行法師」が芭蕉翁に先立つ事約500年前に、この地で詠んだ和歌「道のべに清水流るゝ柳陰しばしとてこそ立ちどまりつれ」を強く意識して詠んだ一句だそうです。
NHK出版「おくのほそ道」永遠の文学空間 堀切実著,のP97には、その時の芭蕉翁の心情を分析して次のように書いています。
「西行ゆかりの柳に立ち寄った感激から、自ら田圃に下り立って、この精霊のこもる柳の前で、せめて田一枚なりと植えて奉仕の手わざを手向けたいと思ううちに、眼前で田を植える早乙女たちの姿にいつしか自分の姿を移入して、ほんとうに自ら田を植えたような境地のまま、そこを立ち去ったのだととらえてよいと思います」無謀にもこの「心象風景」の映像化を試みてしまいました。
名前 |
遊行柳 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
遊行柳も良いのですが、その奥のイチョウの巨木も見事です。