東山道にあった白河の関の史跡です✨。
平日の昼間に行きました。
人はちらほらいる程度。
芭蕉の句にも詠まれる奥州三関のひとつで去年の高校野球仙台育英の白河の関超えで有名になったスポットです。
駐車場は目の前にあり。
無料で停められます。
1800年に白河関跡と断定されたこの地は白河神社、従二位の杉、古関蹟碑など見どころがたくさんあります。
特に入口から白河神社に登っていく石段は鳥居をくぐった時から空気が変わりとても厳かな感覚になります。
思ったより広く思ったより整備されていました。
近隣に売店・広い公園などもあり、家族連れで賑わっていました。
神社への階段はあれど、その他はほぼスロープで脚に優しい場所でした。
2022/10/末に行ってみました。
白河には仕事で何度も行っていたけど今まで行った事はありませんでした。
きっかけは仙台育英が優勝した事です。
以外に白河駅から遠かった。
この手の名所旧跡と同じで、行ってみて『おー』っていうものは特にありませんでしたが、話の種のひとつですね。
近くに小さな無料の駐車場もあって、車であれば簡単に行けます。
白河の関跡のみならば神社前の駐車場に停めて散策可能。
ずっと行った先に広めの駐車場と公園施設が有るみたい。
歩いても近いのでそちらもいいかと思う。
神社が有り参拝、関跡は建物は見当たらない!
色々あって歴史に興味が有る人にオススメです😃
静かで気持ちの良いとこです。
白河の関。
いやあ、教科書の世界と思ってましたが、来れました。
空堀あるし、神社もあります。
近くには、公園もあります。
資料館ないです。
カタクリの花も可憐でした。
可憐なカタクリの花、周長5メートルを越える巨木と神秘的な場所です。
周りの桜が満開でした。
カタクリの花や白い花も満開できれいでした。
散歩に最高ですね。
数え切れないくらい白河の関は行ってるけどいつも閑散としている。
栃木県から東北に行く時はよく使うルートなのでトイレ休憩する場所。
白河神社で参拝もしてます。
近くに食事出来るような休憩スポットも出来たようなので次回行ってみます。
箱根の関所跡(その周辺を含む)のイメージで訪れたら雰囲気が違っていました。
どちらがどうのということはないのですが、ここが関東と奥州の境口と思ったら、少しだけ歴史の風が通り過ぎたような気がしました。
ツーリングで白河から芦野へ向かう途中で白河関跡の看板を見つけ急遽寄り道。
良く聞く事はあるけど行ってみて初めて知りました。
江戸時代の関所ではないんですね。
もっと古い時代の関みたいです。
看板の航空写真を見ると関所一帯はこんもりとした小高い山になっています。
江戸にあったなら奥州街道沿いにあるはずですかね?西へ山1つ越えれば奥州街道です。
11月に訪れましたが、違う季節に来たらまた違った印象があったかもしれません。
芭蕉も立ち寄ったとされるこの地、廃れた静寂の中で過去の思いを馳せる良い一時を過ごせました。
狛犬さんが強そう。
参拝後土塁をグルーっと歩いていたら木の根か何かにつまづきコケそうになりました。
気をつけて下さい。
鬱蒼とした雑木林や土塁跡を眺めると歴史のロマンを感じさせる。
多くの人びとがこの関を越えて、みちのくへと旅立った古の時代に😌想いを馳せるのは楽しい。
神社の寂れた感じがまたよい。
厳かで凜とした空気が漂う。
想像してたの違ってました。
不勉強ながら、江戸時代の関所の跡地みたいなものを想像してましたが、全然違いました。
江戸時代にはすでに関はなく、もっと遥か昔に存在していた伝説の関(奥州三古関のひとつ)の存在が推定される場所ということです。
奈良平安時代の関で、枕詞になっているけども、江戸時代にはその存在した場所は不明になっていました。
それを、南湖公園を作った松平定信がいろいろ調べて白河神社に白河関があったに違いない!と断定したということです。
そこにあるのはかなり古い由緒ある神社(135年建立。
卑弥呼の時代?)です。
狛犬~鳥居~境内にのびる階段がかなり趣がありphotogenicです。
アニメの背景に使用されたことあるそうです。
白河のパワースポットといえるかもしれません。
隣に白河関の森公園という遊具が豊富な公園があり、休日は子連れで賑わっていますが、こちらは観光バスが時折くるくらいで静かで荘厳な雰囲気があります。
夏、アブが多いかも。
虫刺され注意です。
駐車場も広くスペースたくさん有るのにお客はいない。
白河関は有名なんだからもっと活用した方が良いよ。
北海道から旅行で立ち寄ったのですが、昔、高校野球の深紅の優勝旗が、白河の関をなかなか越えられないと言われた場所、ここなんですね。
奥州三大関所で有名だそうです。
自然豊かで風情がありますね。
白河関跡t・白河関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を刻み、また文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場所である。
・関の位置については久しく不明であったが、江戸時代後期、時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡であると断定され、寛政12年(1800)に「古関蹟」の碑が建てられ、今日に至っている。
・関が置かれた年代については不明であるが、延暦18年(799)、承和2年(835)の太政官符には「白河剗」の名が認められることや歴史的な背景からみて、大化の改新以後の7・8世紀頃には存在していたものと考えられる。
・昭和34年から38年までに実施された発掘調査では、竪穴式住居跡や掘立柱建物跡、空堀、土塁、柵列などの古代から中世にいたる遺構が発見され、縄文土器、土師器・須恵器・灰釉陶器、鉄製品などの古代から中世にいたる遺物が出土している。
出土した土師器の中には、「門、大室、□舟」などの墨書土器がみられる。
・白河関の全体像についてはまだ未解明な点もあるが、現在も奥州三関の一つとして多くの人々に親しまれ、歴史のひとこまに触れることができる場となっている。
また、春には藤やかたくりの花が咲き、訪れる人々の心を和ませている。
tt名称・延喜式内社 白河神社・祭神・白河国造命(鹽伊乃己自直命) 天太玉命 中筒男命 衣通姫命・御利益・道中安全 家内安全 縁結び 安産 勝負開運 諸厄消除・境内社・八雲神社 稲荷神社 国津神社 大山祇神社・第13代成務天皇5年(135年)白河国造命と天太玉命を奉祀し、勅命により鎮座、のち白河の関設置に当たり、関所南方に住吉、玉津島明神を祀る。
・延暦10年(792年)永承7年(1053年)平兼盛、源頼義・義家等が稲田を奉献し、寿永3年(1184年)3月9日源義経、文治5年(1189年)源頼朝等が金弊を奉献、元和元年(1615年)伊達政宗公社殿を改築奉納(本殿の棟紋に九曜星、縦三引きの紋あり)、享和元年(1801年)に白河城主松平定信公が神庫を奉納。
奥の細道曽良日記にも記された二所の関明神として、現在国技である大相撲二所の関部屋の関部屋の発祥地、8月に二所の関古式相撲が嵐祭りとして奉納される。
・白河の関を境内とし、境内は昭和41年9月12日付けで文化庁より国指定史跡「白河関跡」に指定された。
名前 |
白河の関跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0248-32-2921 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
奈良〜平安時代にかけての陸奥への三大関所の一つ、東山道にあった白河の関の史跡です✨。
閉鎖されてから何処にあったのかわからなくなり、その名だけが和歌などに使われてたんだとか。
白河藩主で筆頭老中に抜擢された松平定信が作らせた南湖を訪ねたく、福島車中泊の旅の最後に白河に立ち寄りました。
定信が所在地不明の白河の関跡を探させたと思い出し、以前も訪ねたけど、予定を変えて再訪しました。
延喜式内社の白河神社を取り囲むように、堀と土塁が今でも確認でき、戦略基地としての古代の関所を感じる事ができます。