名前 |
会津藩横川関所跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
会津藩主の保科正之はこの会津西街道を特に重視し、会津に着任するやすぐに横川宿に番所をおいた。
番所には常に2、3人の会津藩士が務めていた。
ここでは通行手形を持たないものはもちろん通行を許可されず、また会津藩の専売品であった鷹のひな、馬、ろう、うるし、鉛、熊の皮、紙などが許可なく荷として通行することを取り締まった。
敷地内に観音堂があり、草むらのなかにひっそりと墓石がある。
宝誉道敬清居士、文化10年8月3日と刻まれたこの墓碑は会津藩士の清水伝左衛門知義といい、村人が陳情で番所のそばで盆踊りをやらせてほしいという願いを聞き入れ、親切心から許可したが、「関所の敷地で盆踊りをさせるとは不屈千万」と叱責され、責任をとって切腹した武士の墓である。