鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる建物。
犬旅/紅葉🍁求めむ北日本紀行2020/10/30金色堂が現在のところに移設されたために、遺された(旧)覆堂は威風堂々、単独でその古い出立ちで存在する。
そばには芭蕉翁の像と歌碑が建てられて、否が応でも芭蕉が訪れた江戸の時にタイムスリップさえ可能にしてくれる。
芭蕉の有名な俳句の殆どが、東北で詠まれ愛され続けてきた。
源氏の血筋と松島の月を愛した芭蕉はこの地からさらに日本海に出て、九郎義経の足跡を逆ながら辿るのである。
神秘的空間です。
以前、金色堂が置かれていた場所。
趣のある雰囲気。
2018年8月訪問。
鎌倉時代から金堂を保護するための覆堂が建てられ、修理され、建て替えられてきたおかげで金堂の芸術品が残ったんですね。
かつては金色堂の覆堂であった建物。
内部に入ることができ、金色堂を収めていた大きな空間と、特殊な構造は一見の価値あり。
なお、有料区域にある。
素晴らしい!500年の歴史が蘇るようです!保存も、大変だよね!🙏👍
重要文化財に指定されており室町時代中頃の建築と推定されている。
現在の鉄筋コンクリート造りの覆いができる約500年間金色堂を風雨から守ってきた。
その際に100メートルほど北西の現在地に移築されて今日に至る。
室町時代には完成されていた覆堂。
これが無ければ金色堂は風雪により朽ち果てたかと思うと、大変貴重な建物です。
昭和の金色堂修理の際にこの場所に移築されました。
平成30年5月21日来訪。
1962年に金色堂の解体修理が始まるまで金色堂を風雨から守ってきた、室町中期の建建物で、1964年に現覆堂の位置から現在地に移されたそうだ。
金色堂はもともと屋外に建てられたもので、数十年後には金箔張りの建物を保護するための簡単な覆屋根が掛けられ、1288年の鎌倉幕府による金色堂の修復時に覆堂が作られ、その後も増改築を経て、室町中期の旧覆堂、現覆堂と変遷してきたものと考えられている。
室町中期と言えば五百年は経っていて、それだけでも、すごい建物だわ。
有料ゾーン金色堂は保存のために建物の中に在る。
仕方の無いことだがちと残念(´Д`;)
藤原の偉業は鎌倉幕府にとっても大きな意味を成していたのですね。
藤原清衡、藤原基衡、藤原秀衡の偉業は凄かったのでしょうね。
金色堂を風雪から守るために、鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる建物。
昭和の金色堂解体修理の時に新しい覆堂に変わり、旧覆堂はこの場所に移されたそうです。
旧覆堂(きゅうおおいどう)は、以前まで金色堂を守ってきた建物で、現在は重要文化財指定されているお堂だそうです。
信州の善光寺の回向柱のような柱が中央に存在します。
全部高速使わずに行ったので、着いた時には御覧の通り、放映終了してた。
その名の通り中尊寺の金色堂を覆っていたお堂。
現在の金色堂が建屋の中で厳重に保存されていることに対して、ガッカリしたなどとはよく言われることだが、しかし僕はそうは思わない。
なぜならそれはこの旧覆堂の存在がある事を知ったからである。
つまり、いにしえの人達もまた、この金色堂が雨風にさらされて傷んでしまうことを惜しいと考え、その当時の技術で出来ることとして、建屋を外側に建てて金色堂を守ったという事なのである。
そうであるならば、現代を生きる僕たちはやはり、今持てる技術の粋を尽くし覆堂を建て金色堂を保護するのは当然のことで、それは先人たちから引き継いできた使命だと思えるものなのだ。
名前 |
金色堂覆堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0191-46-2211 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
ずっと昔から、金色堂はこのような覆堂の中で守られてたんですね。