毎年11月上旬に開催される森のまつりの最終日の夕方...
説明書よりーーー森の地名と祭祀 社仲町三島神社の鎮座する三島山は、「森山·白幡山·大明神山」などと呼ばれ、「森山」が森町の語源といわれる。
寛永三(一六二六)年の「森と向天方地境争論」(旧野尻家文書)によると、古来、両村の境(飯田荘·一宮荘)は三島山の山頂であり、慶長五年の大水によって、山の西側(現在の町中通り)を流れていた太田川が山の東側(現在の位置)を流れるようになり、村境が川を隔てて東西に確定した。
この「森山」の北を「森の上」、南を「森下」と呼び、室町前期応永年間から始まったという「事神送り」が森の祭りの起源とされる。
毎年十一月、遠州の祭りの掉尾を飾る、「森の祭り」はこの三島神社の祭礼であり、森町の人々の心の拠り所となっている。
戦国時代の元亀初年、森山の下にあった梅林院の宣翁全忠和尚は戦火を避け、森の旦那衆を引き連れて、江尻(現在の静岡市清水区)に逃げた。
その後、梅林院は三州慈廣寺の末寺に下り、三島神社とともに徳川勢力下に置かれた。
享保の末年、梅林院は庵山下に移り、境内は山田家屋敷などに繰り入れられた。
この三島山の下には、天正十五(一五八七)年、徳川家康から駿遠両国鋳物師惣大工職の朱印状を与えられた山田七郎左衛門が屋敷を構え、付近に岡野、松井などの小工と呼ばれる鋳物師が鋳造場を置く鋳物師街であった。
また、近世森町村には「森の六軒衆(伝熊野修験の子孫)」と呼ばれる庄屋兼森市場座商人が居り、仲町は白幡方加藤八右衛門が森市場の上市を掌握し、本町の野尻太郎左衛門は下市の座主(天正五年森市場禁制願主)を勤めた。
このほか、太田方太田文三郎·守山の出鈴木五兵衛·西脇の出安藤甲右衛門·同神谷清右衛門が代々村役を勤仕した。
大明神山の社殿は戦国期の兵火によって焼失した。
その後、慶長年間に社殿を再建したが、寛文元年の大火で再び炎上、寛文十二(一六七二)年に本殿を再建したことが棟札等の記録から明らかである。
また、屋根葺き替えなどの修理を繰り返したことが修理棟札数枚に記されている。
平成八年、三島神社本殿を町指定文化財に指定、虹梁·木鼻等に施された渦·若葉文様等の彫刻は繊細で、江戸前期に見られる寺社建築彫刻に共通した意匠で、当時の職人等の記録も残されている。
平成二十七年十二月森町森町教育委員会。
毎年11月上旬に開催される森のまつりの最終日の夕方6時になると各町内の山車が坂を下るよ‼️😲📷
金守神社にて三島神社の御朱印いただけます。
2019.2.2 参拝 御朱印は金守神社で頂けます❗
2019.2.2 参拝御朱印は金守神社で頂けます❗
大昔は、さらに高台に本殿がありました。
今は、妙に開けてしまって、残念。
いわゆる、森の祭りはここのお祭りです。
クルマでここまで来るのになかなかてこずりました。
長い階段を上ったところにあります。
こちらの階段の南側には坂がありますが、当日は工事中でした。
周りは森の城下町ながら、高台にあるためか、境内は大変静かです。
ホームページによると、御祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)とのこと。
三島大社を本宮とする系列なんですね。
狛犬さまの苔むした感じが、長い歴史を感じさせてくれます。
お祭りのときには、どんなにぎやかくなるのか?一度来てみたいと思いました。
名前 |
三島神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0538-85-2913 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
創建:不明社格:村社祭神:大山祇命(オオヤマツミノミコト)譽田別命(ホンダワケノミコト)神紋:左三つ巴紋由緒:三島神社は千年以上の歴史を持ち、三島山の宮森の下から森の街々が発展しました、この宮森が森町の地名となったといわれております。
御本殿は戦国時代、兵火のために焼失し、慶長17年に再建されました。
現在の建物は寛文12年(1671年)造営で、森町では最古の建造物であり、町の文化財に指定されています。
祭典は11月の最初の金、土、日。
最終日の舞子返しは祭りの最高潮を迎えることになります。