名前 |
移ヶ岳神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
鳥居脇の「移ヶ岳神社由緒」石碑より祭神 大山祇大神 天熊大人神 二柱旧称 移ヶ岳観音 明治三年移ヶ岳神社と改称起源は遠く坂上田村麿将軍東征に遡り将軍当地方に駐軍せら れしときこの山に登り四方を偵察し大山祇大神その他の軍神を祭 き祀り戦勝を祈願し軈て大勝を博し賊徒を平定せられた神徳を 称え里人等祠を建て尊崇した後ち将軍の後聞 田村友顕公 康平 年間三春城主となり祖先の遺跡を偲び代々深く信仰せられた霊城 なりと伝いらる降って正保年間秋田公三春城主として入城以来崇敬信 仰厚く毎年一月十五日二夜三日間祭祀を奉仕するを例にされたと云ふ 明治維新神仏分離のとき同三年神官権訓導菅村嗣江氏中心となり 頂上の直下後ろに屹立する巌壁を負ひ脚下断崖の下に清冽なる 清水滾々として湧き南面して四方開け眺望絶佳はるかに太平洋を望 む勝景の地をトし社殿を造営し改めて奉祀し山の鎮守農業の 守護神 特に産馬擁護の神としてしられ近接諸町はもとより遠く双相地 方より参詣者相次ぎ崇敬信仰せられその後大正六年社殿を改築し 現在に至った近年わが國経済の進展成長に伴ひこの山の特産黒花崗岩の需要増加しこれ が採掘盛んに行はれ社殿附近をも採掘するようになり爆發による振動落 石等により本社に悪影響を及ぼすのではないかと懸念せられるようにな った郡山市中田町大字柳橋の石材業者長沼武茂氏これを憂慮し本殿 の奉遷拝殿の新築等一切を寄進することゝし遷座方を昭和四十 四年一月氏子に懇請するに至った よって氏子は協議検討の結果これ を了承し位置の選定社殿の設計等につき両者協議の上工事を 施工し同年七月三十日竣工この地に遷宮奉祀したものである昭和四十四年七月三十日建碑菅村巌美 撰文橋本朋文 謹書。