豊臣秀吉や御車山祭と関係が深い 5/1は路上販売店...
高岡市古城に鎮座する高岡關野神社です。
慶長9年(1604)に射水郡水戸田の密蔵寺より分霊して熊野宮と称したのが始まりで、江戸時代までは加久彌神社(神明社)・関野神社(熊野社)・高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていました。
文化3年(1806)に三社が現在地に遷座し、同一の境内で祀られました。
有り難く、高岡關野神社の御朱印を頂きました。
豊臣秀吉や御車山祭と関係が深い 5/1は路上販売店が駅から100店位出て賑わう 鳥居前で祝詞を挙げる。
久しぶりにゆっくり訪ねてみました。
趣きのある神社です。
御朱印も何種類かあるようです。
2019年5月1日の令和時代初日、父に御車山祭を見させてもらいお昼を食べた後、お祭りムードの関野神社へ連れて行ってもらいました☺️雨☂️は降っていましたが、屋台が数多出ていてなかなか前に進めないほどの大賑わい‼️‼️小学校時代6年間高岡に住んでいましたが、当時は小学生で恥ずかしながら⁉️御車山祭の価値も全く分からずただただ屋台が出ている非日常の高岡の街を楽しんだだけでしたが、この時初めてゆっくりじっくり御車山祭を見て、関野神社⛩も行きました☺️前日、平成時代最終日に見た宵祭・瑞龍寺ライトアップを含めて歴史・伝統ある高岡の街の良さを実感した2日間でしたし思い出深いです‼️‼️一生涯の思い出です☺️見せてくれた父に感謝(横浜から2人旅)ですし、父と見られて本当に良かったです‼️‼️高岡に生まれ育った父にいろいろ高岡の良さを歩きながらさりげなく教えて貰えて本当に嬉しかったし一生の思い出です☺️あの2日間懐かしいですし、あの時に戻りたいくらい‼️‼️
大きくて立派な神社でした。
高岡関野神社から射水神社までは願い道ですね。
非常に趣のある建物だ。
メインは前田利長だが、明治期に合祀されまくったらしく、稲荷明神や天照大神やら色々な神様が祀られている。
ここのおみくじは、かわいい七福神や打出の小鎚などのお守りが付いていて好きです😊駐車場もあり安い料金なので助かっています。
今年の春は、風はやはり寒いですが今日6日の午後は、太陽が出ていて散策に良い日でした。
木蓮が満開でした😄
古城公園にある射水神社からこの関野神社までは、「願い道」と言うそうで、あわせてお参りすれば願い事が叶うと聞き、訪れました。
境内には、御朱印にもあしらわれている、貫禄のある大黒様も居らっしゃいます。
酒井晶正さん、こんなに早く逝かれるとは信じられません。
たたただ悲しく寂しいです。
謹んでご冥福をお祈りすると共に、「神様」として、どうか私たち高岡市民と、わがまち高岡を永遠に見守っていて下さいませ。
お守りをお受けしたら、かわいい飴ちゃんひとつ付いてきました!
参拝に行ってきました。
タイミングがよかったみたいで、書き置きではなく御朱印を頂戴できました。
広めで参拝しやすい本殿でした宮司さんが話好きみたいで社務所の方が接客中の為書き置きで申し訳なさそうに対応して下さいました。
旧社格は県社。
愛称は「高の宮」です。
本殿が3棟あるらしいが、木々に蔽われているので全容はうかがい知れなかった。
ちなみに加賀藩2代藩主・前田利長公が祀られているのは、拝殿から向かって右の高岡神社(稲荷社)である。
そういえば、参道左側に赤い鳥居と狐の狛犬があったなぁ。
その他境内には大黒社と絵馬堂、本殿右側には末社が3社並んでいた。
5月1日の春の例祭は有名な「御車山祭り」。
7基の絢爛豪華な曳山が市街を練り歩く。
拝殿右手には坂の高低差を利用して建てられた山車の収蔵庫がある。
御朱印をいただきました『高岡關野神社』は、關野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)、加久彌神社(神明社)、の三社が起源であります。
關野神社は、天暦二年(九四八)に射水群熊野村蜜蔵寺(現在の水戸田)に祀る熊野大権現を、關野の尾坂(堀上町)へ遷座し、『熊野社』と称したのが起源であります。
慶長十四年(一六〇九)に、前田利長公が高岡城築城に際し、上関村(現在の神主町)へ遷座し、享保十一年八月(一七二六)に社名を正一位關野神社と改称し、その後文化三年二月(一八〇六)に現在地(高岡市末広町九番四三号)へ遷座しました。
高岡神社は慶長十五年(一六一〇)に、前田利長公が高岡城鎮護のために建立された『稲荷社』が起源であります。
慶長十九年(一六一四)に、利長公沒後、利常は前田利長公を神霊として祀り、上関村熊野社へ遷座し、その後、文化三年二月に現在地へ遷座し、明治十一年九月(一八七八)に高岡神社と改称しました。
加久彌神社は、上関、下関、鴨島一帯を神領とする奈良時代創建の古社で、「延喜式」神名帳登載の射水郡十三座の一つである「神明宮」であったとされています。
発祥の地は、現在の上関地内神主町であり、五社等之由来帳(石川県立図書館蔵)によれば、天平時代には、大伴宿弥家持卿が宝鏡を奉納したと伝えられています。
その後文化三年二月に現在地へ遷座し、明治維新後は、關野神社に合祀せられ、『神明社』と改称しました。
大正八年(一九一九)に、県社高岡神社と郷社關野神社が合祀して、県社高岡關野神社と改称しました。
『高岡關野神社』は、文化三年二月に現在地に遷座されて以後、俗に高ノ宮と呼ばれ、高岡の開祖前田利長公を奉祀する唯一のお宮として多くの人に親しまれています参拝の栞より。
射水神社、高岡大仏、そして高岡関野神社は3つの縁をつなぐ願道のルート!! 赤い鳥居が目印かな。
梅の花が咲いてました。
そこに牛の銅像??があり、自分の治してほしいところを撫でるといいそうですよ😃 前田利長、前田家の先祖である菅原道真も御祭神として祭られています。
御朱印も書いてもらえますよ。
ちょっと不思議な話。
旅行で新高岡から加越能バスで氷見方面へ向かう積もりが、駅前の上越新幹線記念碑をスマホで撮ってる僅かな間に行ってしまった。
後悔してタクシーに乗り、そのドジ話を運転手さんにしたら「氷見ならバスより電車に乗った方が海岸線を通るから景色が綺麗ですよ。
今日は晴れてるので」とのこと。
結果オーライ。
高岡へ着き、氷見線の時刻まで時間が空いたので、「そういえば...」と昨年行けなかった近くの關野神社様へ。
導かれる様にこちらへ参ったのだが、不思議な事に、御みくじを引く時に何故か『大吉を引く』という根拠なき確信が心を支配し、その通り大吉が出た。
その後、滞在中は氷見や白川郷、井波などを巡る。
このところ少々の不運続きで(ホントは少々どころじゃ無いけど。
言わない )気が塞いでいたのが嘘の様な気の晴れよう。
実際、旅行の滞在中すべて天気が「晴れ」というのも珍しい。
帰る前日、これも去年行けなかった鋳物で有名な金屋町へ。
町中を方々廻り、最後に有礒正八幡さまへ向かうが時間が遅く、諦め駅へ引き返すも急に尿意を催す。
このグーグルマップでトイレを探したら何と最寄りがこの關野神社様の真下の公衆トイレと出た。
二度も導かれ、二度目は「帰る前に挨拶に来い」という事だと勝手に解釈し参拝。
私はパワースポットという言葉は嫌いだが、もし私にとってそのパワースポットがあるのなら間違いなく此処である。
高岡駅から歩きで訪れました。
大きな社殿が印象に残りました。
残念ながら、無人で御朱印いただけませんでした。
保存樹木のエノキの大木 シイ?の樹形と根張りが良い。
繁華街そばのためか、駐車場は料金が必要。
加賀藩主【前田利長公】が高岡城築城の際に鎮守とした神社。
毎年5月1日には春の例大祭「御車山祭り」が行われ7基の御車山が町の中を巡行します。
拝殿の奥の開いた扉越しに見える三棟の本殿は左手側から順に、⚪加久彌神社(旧 神明社)⚪關野神社(旧 熊野社)⚪高岡神社(旧 稲荷社)江戸時代までは別々の社でした。
文化三年、1806年に現在地に遷座し同一の境内で祭祀を行っていましたが、明治時代には「加久彌神社」が、大正時代には「高岡神社」が關野神社に合祀されました。
また別棟で大國社、弥真進社、松尾社、が境内の右手側奥に建っています。
前田利長公を祀る神社。
力を与えてくれる、何かを感じる厳粛な空気に包まれていました。
御朱印をいただきました。
高ノ宮通りの 西側の先に出てくる 神社。
御車山まつりでは 普段 駐車場のスペースに 沢山の露店が。
延喜式内社、加久彌神社二座の論社。
流石は銅器の街、高岡、狛犬も銅製であります。
高岡商人の崇敬篤く、見応えありました。
特に常夜燈の優美さが印象に残っております。
そして裏路地には歓楽街。
名前 |
高岡關野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0766-25-2491 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
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高岡関野神社は、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)、加久彌神社(神明社)の本殿が遷座する荘厳華麗な神殿であり拝殿から一度で三社をお詣りできます。