名前 |
大原城(山吹城)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
よみがな やまぶきじょう(おおはらじょう)遺跡名 山吹城(大原城)時代 中世遺跡コード NF62-1007・大原氏の始祖は葛西太守晴胤(十五世)の子、信茂で、姓は千葉、葛西一門随一の実力者であった。
大原信茂以来、代々の当主は「飛騨守」を称した。
孫の重光(幼名千代竹丸)の代、即ち、干時、天正十八年八月に宗家葛西家は滅亡するのであるが、翌十九年、桃生郡深谷に於て、重光は南小梨、渋民、長部、清水馬場らの大原一門と共に伊達家の謀略にあい若き生命を散らしている。
行年十五才。
「葛西真記録」には、天正十八年中央仕置軍迎撃の総大将として千葉飛騨守胤重の名が見えるし、その他の古記もが物語るように、東磐井の中世史はこの大豪族大原氏を中核として織りなされて来たと評しても過言でなかった。
宗家没落後、末裔は伊逹家に仕えたとも、南部家に随臣したとも各説がなされている - 仙台領内古城・館。