皇居ランナーのスタート地点として。
東京メトロ竹橋駅の出入口付近、皇居大手堀に面した所にある。
和気清麻呂は宇佐八幡から持ち帰った託宣により当時権勢を誇っていた道鏡の皇位簒奪を食い止める働きをした。
いわば現在まで続いている皇統を救った人物である。
昭和15年の皇紀2600年に際して作成された。
8世紀・古代日本で皇統断絶の危機を救った国士・和気清麻呂(わけのきよまろ)の像。
地下鉄出口工事と合わせた広場の整備が終わり、周辺が綺麗に成りました。
コロナ禍に当像周辺がリニューアルしたのは、疫病で人心の揺らいでいる時の簒奪者に注意せよとの啓示…かもと歴史に思いを馳せたりします。
内堀通りに面してKKRホテル東京の向い、東京メトロ銀座線竹橋駅の出入口2番の地上に清麻呂公園があり、ここに和気清麻呂の銅像が立っています。
皇位を狙った道教を退けて万世一系を守った和気清麻呂ですが、なぜか顔を向けているのは皇居の方向ではなく、東京駅の方向を向いて立っています。
お札にもなったわが祖国の大功労者である。
売国仏教坊主の道鏡は我が日本を乗っ取ろうとした奈良時代の売国仏教坊主の道鏡は女帝の称徳天皇陛下に取り入り法王までなったさらに天皇陛下になろうしたのである。
皇統を血統を背く行為である。
天照大神様と神武天皇陛下に血統のみが天皇陛下なれる。
それを乗っ取ろうとした。
我ら日本の危機だった。
それを愛国者の和気清麻呂が守った。
お札にもなったわが祖国の大功労者である。
道鏡が天皇になるのを救った日本の英雄和気清麻呂。
皇居に立てられたことで楠木正成とともに明治天皇がいかに高く評価していたかわかります。
皇居ランナーとしての意見ですが、地下鉄入口、ランステ、レストラン(毎日新聞ビル内)が近くにあるので便利です。
歩道も広めなので皇居ランのスタート地点として重宝しています。
神号: 護王大明神。
(733年~799年)奈良時代末~平安時代の高級官僚。
孝謙天皇の頃京に上り,武官として右兵衛少尉,従六位上の官位を得,天平神護1 (765) 年勲六等を受け,吉備藤野和気真人の姓を賜わった。
神護景雲3 (769) 年道鏡が宇佐八幡の神託と称して帝位につこうとしたとき,神託を聞くことを命じられた清麻呂は,道鏡が皇位を望むことは神霊もこれを震怒すとして道鏡の野心を退けた。
そのため,道鏡の怒りを買って大隅に流された。
宝亀1 (770) 年光仁天皇が即位すると,京に召し返されて和気朝臣の姓を賜わり,天応1 (781) 年従四位下となった。
また長岡京の造営が停滞していることを憂え,天皇に葛野 (かどの。
平安京 ) への遷都を進言したり,摂津大夫のとき治水工事を行なったり,延暦初年,神護寺の前身である神願寺を河内に建立したりした。
天皇家にとっては恩人であることから皇居に建立されている。
『わけ(の)きよまろ』戦前は十円紙幣にもなった方。
深夜に銀座方面から歩いて帰る道にあり、ちょっと怖いけど見守ってくださってるありがたいお方です。
只今(2017)周囲を工事中、保護枠でロボット工場のような状況に、しかもそこにカーテンのようなものが設置されている模様。
やはり高貴な方は夜間お隠れになられるのだろうか(未確認)などと考えると微笑ましい様でもあり、関係者のウィットであるならばなお面白いが、実情は何かの条例か行政指導なのかもしれない。
いずれにしても仮歩道からその状況が今は見られます。
時代背景か像そのものも盛ったなという感じで立派です。
昭和15年(1940)佐藤朝山により製作されました。
和気清麻呂は奈良時代末~平安初期の岡山県出身の官僚で、道鏡の皇位につこうとした野望を見抜き宇佐八幡宮信託により退けて天皇の皇位を継承させた恩人という事で皇居近くに建てられています。
現在工事中だが…以前のようなランナーやローディの荷物置き場にならない様に工夫して欲しい。
(ごく一部だが、自転車で皇居まで来るランナーは、ここを自転車置き場にして、ゴミやペットボトル放置してく)
名前 |
和気清麻呂像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
皇居東御苑平川橋のすぐ側、大手濠緑地内に高さ4m20cmの和気清麻呂像がそびえています。
和気清麻呂は、769年に道鏡の皇位就任の野望を挫き、大隅に配流されましたが、その後に復帰し光仁天皇・桓武天皇に仕え、平安遷都のために活躍しました。
この銅像は、佐藤朝山の作で昭和15年に紀元2600年を記念し建立されたものです。