安里52高地、英語名シュガーローフです。
慶良間チージ(シュガーローフ) / / .
ココへ行く階段入り口には看板等は一切無く、他の方の投稿を見て「あ〜この階段だな」って感じです。
100段以上ある階段を登るとあります。
卒塔婆は新しくなった様でキレイな木の色をしてました。
まぁ、コレが何なのか他の方の投稿にもあるので、私が改めて説明する必要は無いでしょう。
沖縄戦激戦地のシュガーローフです。
多数の命が散った場所です。
近年は整備され、配水池や那覇の市街地を臨むスボットとして整備されています。
那覇新都心に隣接し、付近には高層マンションやホテルも在り、都市部の賑やかさと隣合わせで、戦争の激戦地であったことは判りにくいですが、当地の案内板やらを読むと、歴史を感じます。
沖縄戦の際、激しい戦闘が行われた場所のひとつです。
沖縄戦を記録した古書を幾つか読んでいるうち、知りました。
私は牧志駅から歩いて、シュガーローフと呼ばれた高台に向かいました。
丘の高さを実見したかったからです。
モノレールと並行する幹線道路をおもろまち駅の手前まで進み、おもろまち駅前の交差点を左折、しばらく歩くと何も案内のない上り階段を見つけました。
階段を上りきると目の前に給水施設(タンク?)。
タンクの外周を柵沿いに歩くと、ここが私の目的地であることを示す案内板と、1本の卒塔婆が立っていました。
私には何も語りかける言葉もなく、立ちすくむだけでした。
高台から周囲を見回すと、この高台だけ時間の流れがゆっくりで、周囲は一気に平成、令和と現代化されたように私は思いました。
20分ほど滞在し、おもろまち駅からモノレールでホテルに戻りました。
せめて手持ちの飲み水を卒塔婆に注いで、ねぎらいの言葉を語りかけるべきだったのではないかと、那覇滞在を終え帰宅した現在も後悔しています。
沖縄戦の激戦地の一つ。
戦いのあった毎年5月に慰霊祭をやっている。
ハーフムーンは駅の東側に丘があったがもう見る影もない。
ここも昔の写真の面影はないが辛うじて丘というのは歩いてみると分かる。
遺跡や遺構と開発との調和について考えさせる場所である。
首里城西側の城壁からこの一帯を見渡せるので、併せて首里城に行くことをお勧めする。
やっと沖縄戦の激戦地、シュガーローフの丘を訪れる事ができました。
実際にすり鉢状の丘を上から眺めると、ここを米軍が隠れる場所もなく無防備な状態で何度も何度も進軍して来たのか、2600人もの犠牲者を出しながら。
また日本軍は首里の軍本部を守るために必死にそれに対戦した事実を考えると涙が出てきました。
プロの軍人ならまだしも、学徒隊や単なる沖縄の住人、人生とは何ぞやもおぼろげなまま戦地に連れてこられた米国の若人が多数命を落とした事実に大きな不条理を覚えます。
何の予備知識もなく隣の高層ホテルに泊まっていたが、この場所がほんの数十年前に激戦の地だったなんて今では全く想像もつかない。
平和に繁栄した時代を生きてきたことが奇跡的な幸運だったことを思い知らされる。
おもろまちという所は衝撃的に変化し発展した場所である。
沖縄戦の激戦地の一つ、安里52高地、英語名シュガーローフです。
首里城西方にあるこの地を落とすと首里戦線は瓦解する事から第32軍は温存していた予備軍を投入してまで守ろうとした地です。
シュガーローフで反斜面陣地を構築した日本軍は効果的にアムトラック、M4戦車から歩兵を切り離し各個撃破した地です。
ゆいレールを挟みおもろまち駅東方にはハーフムーンと呼ばれる丘が、シュガーローフ南方にはホースシューと呼ばれる丘があり3つの丘が反斜面陣地を構築しながらお互いを補完していました。
詳しくは是非当地に赴いて頂き史跡の説明を確認下さい。
日米の英霊が安らかに眠られる事を願っています。
名前 |
慶良間チージ(シュガーローフ) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
明るい街中の一角が太平洋戦争の激戦地なのには考えさせられるものがあります。