名前 |
伊吹神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
伊吹神の信仰と猿楽このお社の祭神は、伊吹神と記されています。
(農業の守護神として「山田大蛇」を祀る)伊吹山の神は「伊吹大明神」とも呼ばれ、『古事記』では「牛のような大きな白猪」『日本書紀』では「八岐大蛇」とされていた『古事記』にはヤマトタケルがこの伊吹大明神(八岐大蛇)と戦って敗れる物語があります。
伊吹山の神に苦しめられて敗れたヤマトタケルは病に冒されて山を下り、居醒の泉で少し回復したものの、のちに悪化して亡くなったとする伝説が伝えられています。
また文献によれば、古代には近江国・美濃国の両国で伊吹神が祀られたことが知られています。
国史では両神に対する神階奉叙の記事が散見され、中央にも知られる神でした。
両神は、『延喜式』神名帳においてもそれぞれ「伊夫伎神社」「伊富岐神社」として記載されて式内社に列しているほか、美濃の伊富岐神社は美濃国内において南宮大社(一宮)に次ぐ二宮に位置づけられています。
現在も近江の神社は伊夫岐神社(滋賀県米原市伊吹)として美濃の神社は伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町岩手)として祭祀が継承されています。
なお、創祀については美濃地方の豪族の伊福部氏との関係を指摘する説もあります。
伊福部氏は、金属精錬に関連する技術をもち、近江~美濃~尾張にかけて影響力を持った豪族でした。
伊吹という呼び名も、金属精錬の際の『息吹き』から繋がったものと言われています。
ここに祀られる神鏡も、一族により作られたと考えることが一般的でしょう。
また、この地域は、山階猿楽の根拠地と記されています。
猿楽とは、日本の古代・中世に行われた芸能で、こっけいな動作や曲芸を主とするもので、後に歌舞・物まねなどを演ずる、能・狂言の源といわれています。
中世に近江国(滋賀県)に存在した猿楽の座には、日吉(ひえ)神社参勤の山階(やましな)下坂比叡(ひえ)(日吉)を上三座といい敏満寺(みまじ)大森酒人(さこうど)を下三座がありました。
山階座は長浜市山階、下坂座は長浜市下坂、比叡座は大津市坂本、敏満寺座は多賀町敏満寺、大森座は東近江(ひがしおうみ)市大森酒人座は甲賀(こうか)市水口(みなくち)町酒人に、本拠を置いていたとのこと。
鎌倉末期から室町前期にかけてもっとも隆盛で幽玄本位の芸風をもって、大和(やまと)猿楽や田楽(でんがく)と能の座の覇を争った。
ことに足利(あしかが)3代将軍義満(よしみつ)の愛顧を受けた比叡座の道阿弥(どうあみ)(犬王、犬阿弥ともいう)は名人の誉れが高かったが、以後しだいに衰微し、江戸初期に大和(やまと)猿楽の観世座に吸収され消滅しています。