名前 |
八釼神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
関町八剣神社は、南関ICの南西2.3kmほどの南関町関町の山の麓に鎮座している神社です。
北東1.6kmほどに鎮座している大津山阿蘇神社に祀られていたものが、昭和時代初期に有志によってこの場所に分祀されました。
京都八坂神社の末社で、地元では「祇園さん」と呼ばれているそうです。
鳥居は、昭和6年(1931年)の建立です。
御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。
毎年8月第1土曜に開催の南関町最大の夏祭り『ぎおんさん』の行われる神社です。
御祭神である素戔嗚尊が出雲の国の肥の川上において大蛇を退治された神話を縁起として、祭神の和魂を戒め、魂心を奉したのが明正天皇の御代寛永17年(1640年)と伝えられ、その頃から商売繁盛と五穀豊穣、無病息災を願い、この祭りが始められたと伝えられています。
祭では、高さ3m以上もある、いかめしい形相の「大蛇山(山車)」が厄払いの火を吹きながら、昼間は子どもたちが、夜は若者たちが引手となり旧南関地区の関町商店街一帯を練り歩きます。
大蛇山は、福岡県大牟田市とその周辺地域で行われており、他地域ではあまり見られない独特の祭りです。
大蛇がまつりに出る由縁は正確な文献がありませんが、祇園信仰の大蛇に象徴される水神・龍神信仰の融合として捉えられています。
大蛇山は、大蛇を模した製作物を飾り付けた山車に人が乗り、太鼓、半鐘などの樂(祭囃子)と共に街中を練り歩きます。
大蛇の頭・尾を左右、あるいは上下に振り、花火・煙幕を取り付けて、火を吹いているように見せるところが特徴です。
複数の大蛇山が向き合う競演は、数分間のうちに大量の花火・煙幕が使われ、大きな見所の一つになっています。
大蛇は昔からの手法を受け継ぎながら、まつり当日までの数ヶ月間、毎年手作業で和紙・竹・藁などを組み合わせて頭・胴体・尾をご神体として作成し、山車に飾りつけられます。
子供を大きく開いた大蛇の口内へ掲げる「かませ」という儀式があり、「かませ」を受けると子供たちは無病息災のご利益があるとされています。
まつりが終わる夜は、氏子や子供たちによって大蛇の頭・胴体・尾を崩す山崩しが行われて、フィナーレを迎えます。
崩した大蛇の部位は、持ち帰って軒先に飾ることで家内安全・無病息災の縁起物としてご利益があるとされています。
八剣神社(弥剣神社:やつるぎじんじゃ)は、祇園神社、須佐神社などと同じ素盞嗚系の神社です。
八剣とは、通常、熱田神宮に収められている宝剣・草薙剣を指すといわれます。
素戔嗚命(スサノオ:須佐之男命)は、太陽神の天照大御神とともに生まれました。
暴風の神として、厄払いの神様としても信仰されています。
荒々しい乱行により天上界から追放されますが、ヤマタノオロチ退治に成功するなど正義感が強く知恵者としての一面ももっており、多面性のある神だといえます。
また、こうした英雄的側面を以て、武の神として崇められることもあります。
神社のある関町は、かつてあった肥後熊本藩の玉名郡(たまなぐん)関町に由来します。
明治9年(1876年)田町が関町に合併しました。
明治22年(1889年)関町、関下村、細永村、関村、関外目村、関東村が合併して、南関町が発足しました。
昭和30年(1955年)南関町・賢木村・大原村・坂下村・米富村が対等合併し改めて南関町が発足しました。
2024年7月の推計人口は8,237人で、減少傾向が続いています。
町名は古代よりこの地に置かれた関所に由来します。
豊前街道は豊後街道・薩摩街道・日向街道とならぶ「九州四大街道」のひとつで、熊本の城下から南関を経て豊前・小倉を結ぶ、参勤交代路でした。
南関は筑後国と肥後国の国境という交通の要地に位置した街道の警備の拠点で、現在の南関町の中心部近くには、関所と南関番所が置かれていました。