全国から注目される存在であった。
幕末の名君、鍋島直正の銅像。
佐賀城の古地図を確認すると、実はここは水堀の上にある面白さ?
これまで数多く歴史人物の銅像を見てきたが、今日見上げた鍋島直正公の銅像は、綺麗で威厳があり、かなりの迫力があって見応えがあった。
家に帰ってからこの銅像が割と最近に作られたことを知り、宜なるかなと改めて感じた次第。
思うにこの直正公像は秀作です。
無料の駐車場とトイレの側に建っている銅像。
NTTの塔と烏帽子姿の対比が、過去と現在の対比みたいで、面白い。
近くに、ゾンビランドサガ のマンホールも設置してあった。
鍋島直正公佐賀藩9代藩主・鍋島斉直の嫡子として江戸の佐賀藩邸に生まれる。
17歳で家督を継ぎ10代藩主になると様々な改革を断行し、佐賀藩を幕末の雄藩にのし上げた。
家督相続当初、藩の財政は逼迫していたため、直正はまず粗衣粗食令を出し、自らも率先。
藩の役人の大幅なリストラ、借金の整理、磁器・茶・石炭などの産業育成を通して財政改革を行った。
鍋島直正公は、そんな佐賀藩の10代目のお殿様で、今も歴史に名前を残す偉人「佐賀の七賢人(しちけんじん)」の一人として知られている。
この銅像が生誕200年を記念して、佐賀城旧二の丸跡に73年ぶりに再建されました。
建てられた銅像は、台座も入れると約8.5メートル。
全国から集まったたくさんの人の寄付金とたくさんの人々の力によって建てられました。
ひな祭り飾りの陳列してありました。
地元小学生が製作した物!
佐賀城の鯱の門の北側に建てられた第10代佐賀藩主 鍋島直正公の銅像です。
直正公は幕末期の佐賀藩の近代化に貢献した人物で、佐賀の七賢人の1人です。
写実的で落ち着いた雰囲気の銅像です。
よく見ると眉が下がっているので、にやにやと笑う表情をしているようにも見えます。
スケッチ会があれば、誰かが必ず描きそうな雰囲気の銅像でもあります。
第10代佐賀藩主に17歳で成られた鍋島 閑叟公の銅像は佐賀城鯱の門を潜る前に必ず目に入る大きな銅像です。
脚元には直正公の功績の説明プレートが幾つかあります。
幕末といわれる時期の佐賀藩は、西洋の科学技術をいち早く取り入れ、日本で初めて鉄製大砲や実用蒸気船を製造するなど、全国から注目される存在であった。
第10代佐賀藩主・鍋島直正(なべしま なおまさ)公は、今も歴史に名前を残す偉人の一人で、「佐賀の七賢人(しちけんじん)」の一人としても知られている。
以前に建てられたのは大正2年(1913年)で、生誕100年を記念して、今の徴古館北東の位置に、大隈重信公たちが中心となって建てられた。
大隈重信を建設委員長とし、佐賀常務委員には地元の政治家や実業家の名前が並び、銅像の鋳造を請け負った谷口清八の名前もあった。
東京委員には、中牟田倉之助、久米邦武、納富介次郎、岡田三郎助など全国で活躍した佐賀出身者のほか、波多野敬直(官僚)や副島道正(副島種臣子息)、佐野常羽(佐野常民子息)等爵位受領者も多く選定されていた。
この銅像は、太平洋戦争時(1944年)に、第二次世界大戦に伴う金属類回収令による供出で、武器の原料として国に渡してしまったが、それまでは佐賀のシンボルの一つとして、随分とみんなに愛されていたらしい。
そんな直正公の銅像が、生誕200年を記念して、平成29年3月に、佐賀城旧二の丸跡の佐賀城鯱の門北側の広場に73年ぶりに再建された。
建てられた銅像は、台座も入れると約8.5メートルもの大きさである。
たくさんの人からの寄付金が全国から集まって、たくさんの人の力によって建てられてたのである。
近くで見てみると、結構な大きさを感じるはずである。
佐賀城下公園に有る銅像佐賀県、県民所得低い唐津市名護屋城跡は風光明媚、関係芸能人江頭はなわ早稲田関連ちょっとヤバいイメージ有ったのですが名君として色々近代化政策を実施し大砲が明治維新を支え県民の意識も高いのか正月なのか訪れる人も多かったですが最近の話題でアニメゾンビランドサガの聖地とか。
直正公と伝説の特攻隊長に会える場所…夜露死苦!
この方、圧倒的に優秀!!参りました!
この辺りは、僕が小学生だった頃、鯱の門から南側一帯に赤松小学校があって、まるで僕らの遊び場でした❗今の光景は、隔世の感が有り過ぎるけれど・・それでも色々思い出は湧いて来る訳で・・今の鍋島直正公の銅像が建っているのは、確かに、勿体ない位に立派だし当然、最もふさわしい場所におられる訳で、よく、英断されたと感心致します‼️もう少し、西側に向かって道なりに行けば、島義勇の銅像も立派に建っているので、本当にこの辺りは、150年~200年前にタイムスリップしながら散策出来る・・日本でも有数な不思議なところだと思うし、時間の許す方は、もっと美術館・博物館・歴史資料館などへも足を伸ばされることをお薦めします‼️以上です・・
客人の記念撮影スポット。
午前中は逆光致し方無し。
迫力のある銅像です。
名君の像。
かっこいい。
正面から見ると背景にNHKの下品な建物が入ってしまうのが惜しい。
非常に惜しい。
肥前国佐賀藩10代藩主鍋島直正公(1814~1871年)の銅像は、佐賀城本丸御殿の北側の二の丸跡(鯱の門北側広場)に平成29年に再建されました。
初代の銅像は1913年(大正2年)、生誕100年記念で松原神社西側に建立されましたが、大東亜戦争時の金属供出で1944年(昭和19年)年に撤去されました。
銅像は衣冠束帯の立ち姿で、佐賀藩ゆかりの反射炉を模した台座、基壇と合わせて約8.5mの高さがあります。
鍋島直正(閑叟)は、幕末、儒者古賀穀堂を用い、藩の財政を再建するとともに、西洋文化の積極的な移入をはかり、同時に殖産興業にも努め、近代化の先駆けとなり、一躍佐賀藩を雄藩にしました。
城の入口に銅像が有るのは余り見た事無いのでこう言うのは分かりやすくて良いかなと思いました。
誰か知りませんがゾンビランドサガ。
鍋島閑叟公といった方が通りがいいでしょうね。
その業績を辿ると、名君中の名君だと思いますが、残念ながら世間の知名度は低いですね。
先見の明がありすぎたために、倒幕では薩長土の後塵を拝したためでしょうか?質朴な人柄のせいでしょうか?幕末維新期の人物中で、理想の上司といえばこの方は五指に入りますね。
立派な銅像です!
明治維新150年を目前に控えた平成29年3月4日除幕。
佐賀城鯱の門前に出現した新たなシンボル。
2017年3月4日除幕しました。
2018年の維新博へのシンボルとして佐賀城の入口付近にできました。
佐賀を代表する、名藩主。
先見の明のある偉人の像、後世に残すべきもの。
名前 |
鍋島直正公銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
鍋島直正公銅像佐賀城、鯱の門を出てすぐに見える銅像大正2年に佐賀城北御堀端に建築昭和19年に第二次世界大戦時の金属回収令により供出平成26年より銅像再建の寄付募集開始平成29年3月に現在の物が完成【どんな人】第10代佐賀藩藩主佐賀七賢人の一人(江戸時代末期から明治維新にかけて活躍、功績を残した人、他に大隈重信など)藩の財政改革をした人西洋技術の導入に積極的鉄製大砲製造の為の反射炉を築き洋式鉄製大砲の藩での製造することに成功藩校「弘道館」の拡充や洋学を学ぶ蘭学寮を設置天然痘のワクチンを国外から取り寄せる事を命じた明治4年に死去。