大濠公園を抜けて舞鶴公園に向かうと福岡城名島門の近...
元来は名島城(現在の福岡市東区)にあった門のうちの一つ。
幾度か移設されながらも残り続け、戦後ここに移され現在に至ります。
☆戦国大名「毛利元就」三男、豊臣秀吉から一目置かれた名将『小早川隆景』が大改修築城した『名島城』の数少ない現存遺構、貴重❗️☆黒田如水・長政が豊前国中津から筑前国名島52万石で入封、名島城は水軍統括の海城、手狭で陸地の利便性悪く、城下開発に不向きなため近隣を選地👀商業の湊街「博多」も近い那珂川河口の福崎に築城決定、名島城の石垣や建造物、建材を再利用、その一つが『名島門』名島城脇門😄☆約400年前の建造物、派手さはないが中々の趣あり質実、良い佇まい✨
名島門は、舞鶴公園(福岡城跡)と大濠公園を結ぶルートにあります。
もともとは名島城の脇門でしたが、慶長年間(1596〜1615年)初代福岡藩主の黒田長政が福岡城を築き居城を移すとき、24騎の一人である林掃部に下げ渡され、邸宅の門として使用されていたという言い伝えを持ちます。
明治の中ころ、長崎の商人に買い取られ、長崎に移築されそうになりましたが、当時の代議士平岡浩太郎氏によって買い戻され、福岡の天神にあった自宅の門として使用されていました。
戦後、富士ビルの建設に伴い、平岡浩氏(浩太郎氏の孫)によって現在地に移されたもので、福岡市内では数少ない武家屋敷の門です。
今に残る貴重な門です。
名島門看板に蘊蓄が書いてあったので看板の写真もアップしましょう。
もともとは東区名島にあった名島城から移築された門です。
その後、林掃部の邸宅の門になりその後、福岡市中央区天神にあった平岡浩太郎の正門に。
今は福岡城舞鶴公園の入り口の門になっている。
大濠公園を抜けて舞鶴公園に向かうと福岡城名島門の近くの斜面いっぱいにスイセンが咲いています。
ラッパのように見える花はもうすぐ訪れる春を告げているようですね😍
公園入り口にある門。
風格があります。
名島城から移築された門は、はじめ林掃部の邸宅の門となり、その後平岡浩太郎の天神にあった自宅の門になっていたが、今はここに移築されている。
その名の通り、名島城から移築された門。
名前 |
福岡城 名島門 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
大濠公園から旧舞鶴中学校の横を通って平和台陸上競技場に抜ける途中にある立派な門。
かつて名島城の脇門が移設されたものらしい。