御朱印を貰う為にお参りに行きました。
見開き“昇龍”の御朱印が素晴らしい。
色んなパターンを選べます。
社務所に誰も居なくても電話すると直ぐに来てくれます。
Googlemapに従って行くと裏側の狭い道に案内されるので注意。
セブンイレブンがある方が正面です。
御朱印を頂きました(^^)直書きです辰年なので嬉しすぎ(笑)川島八幡宮と妙見宮日少神社の御朱印も直書きで頂けます(^^)ご丁寧なのに夏目先生からお釣りです(泣)凄過ぎ(泣)
皇祖神社玉依姫命(たまよりひめのみこと)(第一代 神武天皇の御母)品陀和氣命(ほむたわけのみこと)(第五代 應神天皇)息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后 應神天応の御母)由 緒創立年代詳ならずも、神職有光家の旧録によれば其祖先は長州二ノ宮大宮司有光越後守時国の二男午之輔時安、故ありて當村に移住し、村民に神道の事を勧め遂に所の祠官となる。
依って村民に氏神勧請のことを勧め、時安、村民と倶に御笠郡宝満宮に詣て、尊神を勧請し産神とし奉れりと云々。
實に永世五年の頃なり。
それより、子孫代々社食を継承す。
社伝曰後奈良天皇享禄三庚寅社前に禅宗世尊寺を建立せしに、神慮に協はず云々、依って簀子を渡して寺を村下の端に移す、かくて里人愈々神慮を畏み寛永の頃迄は神幸等を為し奉り祭典も厳重なりしが、天和の頃より衰へたり。
當時の神幸所を妹殿と言ふ、後に高木の神を勧請し神幸の例を以て年毎に八月朔日萬年願と唱へ本社に於て大神楽を奏し奉り、神幸跡高木神にも神楽を奏せり。
寛永十五年社殿再建、天和二年神殿拝殿共に焼失し、同時に棟札縁起とも焼失す。
元禄十三庚辰社殿再建。
享保十三年左大臣基凞の書せられたる寶満宮の額面を奉納す。
(此額字御笠郡寶満宮)現今別表神社旧官幣小社竈門神社にあり、本社は同宮の御分霊なれば写を申受たるべしと言ふも今記録の存するものなし。
延享二年地頭野村隼人(旧福岡藩士)にして地行七千石當社を尊信し御供米として毎年一俵二斗一升八合を奉納し、神田六畝二十六歩を寄進せらる。
嘉永二己酉年不浄の事あり拝殿を取毀す。
明治二年許可を得て皇祖神社と改稱す。
同時旧藩主黒田長知公皇祖神社の額字を書して奉納せらる、蓋し野村家の地行村たりし縁故に依る。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
大正四年神殿渡殿拝殿改築昭和十二年二月二十四日幣殿拝殿改築起工昭和十三年五月十三日竣工祭 日 四月十五日境内社須賀神社 庚申神社猿田彦社 貴船神社猿田彦社 山神社庚申社 志賀神社金刀毘羅神社 盤屋神社山神社天満神社貴船神社飛地境内社皇祖神社 黒切鎮座福井神社 福井鎮座大行事神社 上村神社主なる祭日元旦祭 一月一日祈年祭 三月十日例 祭 四月十五日大祓祭 六月三十日祇園祭 七月十二日八朔祭 九月一日宮日祭 十月二十一日新嘗祭 十二月五日大祓祭 十二月三十一日その他の祭日紀元節祭 二月十一日明治節祭 十一月三日恵比須祭 十二月十日天長節祭 十二月二十三日その他の祭典七五三祭●初宮詣●厄祓●自動車祓社頭掲示板ーーーーーーーーーーーーーーーー村社 皇祖神社 飯塚市大字鯰田字峯祭 神品陀和気命、玉依比賣命、息長足姫命由 緒創立年代詳ならず旧神職有光家の旧録に依れば其祖先は長州二の宮大宮司有光越後守時国の次男午之輔時安故ありて当村に移住し村民に神道のことを勧めしが里人の尊敬を受け後遂に所の祠官となる依りて村民に氏神勧請のことを勧め時安村民小鶴某と供に御笠郡宝満宮に詣て尊神を勧請し産土神とし奉れりと言ふ。
社伝曰後奈良天皇享禄三庚寅社前に禅宗世尊寺を建立せしに神慮に協はず、十年余にして焼失せしかば里人再建したるに大蛇現はれ住めり里人之を恐れ産土の神に蛇の去らむことを祈りしに寺を神前に建つること神慮に逆らふとの霊告あり乃ち寺を村隅に移さむと誓を立てしかば程なく蛇去れりそれより其所を蛇牟田といふ牟田の上に簀子を渡して寺を移し寺号を改めて青雲寺といひ野村家の寺となれりかくて里人益々神慮を畏み寛永の頃迄は神幸等を為し奉り祭典も厳重なりしが天和の頃より衰へたり。
当時の神幸所を妹殿と言ふ後に高木の神を勧請し神幸の例を以て年毎に八月朔日万年願と唱へ本社に於て大神楽を奏し奉る云々。
寛永十五年社殿再建。
天和二年神殿拝殿共に焼失同時に棟札縁起とも焼失と言ふ。
元禄十三庚辰社殿再建。
享保十三年左大臣基凞の書せられたる宝満宮の額面を奉納す(此額字御笠郡宝満宮(現今官幣小社竈門神社也)にあり本社は同宮の御分霊なれば写を申受たるなるべしと言ふも今記録の存するものなし。
延享二年地頭野村隼人(旧福岡藩士にして地行七千石)当社を尊信し御供米として毎年一俵二斗一升八合を神納し其神田六畝二十六歩を寄せらる(此田地は今神社名義となり現存す)。
嘉永二己酉年不浄の事あり拝殿を取毀つ明治二年許可を得て皇祖神社と改称す同時旧藩主黒田長知公皇祖神社の額字を書して奉納せらる蓋し野村家の地行村たりし縁故に依る。
昭和十二年二月二十四日改築起工。
昭和十三年五月十三日竣工。
明治五年十一月三日村社に定めらる。
例祭日 四月十五日神饌幣帛料供進指定 明治四十二年四月十九日主なる建造物神殿、幣殿、拝殿、神饌所、倉庫、籠殿、御手洗所主なる宝物宝満宮神額一面、皇祖神社神額一面、刀二口、掛聯一対、社記古文書記録集、萬㕝日記、木像狗犬一個、面五個境内坪数 三百四十二坪氏子区域及戸数 区域鯰田区一円、戸数約七百二十戸境内神社磐屋神社(大名牟遲命、少彦名命)志賀神社(綿津見三柱神)金刀毘羅神社(大国主神、崇徳天皇)須賀神社(須佐之男命、稲田比賣命、事効主神)天満神社(菅原神)山神社(大山祇神)貴船神社(高雄神闇雄神)庚申神社(猿田彦神)貴船神社(高雄神、闇雄神)福岡県神社誌 上巻。
ナビで行くと変な道を案内されたので、いっそ横のセブンイレブンを目印にした方が良いかもです。
宮司さんや御朱印を書いてくれる方が親切で素晴らしかったです。
御朱印の種類が沢山あり選ぶのが大変でした。
(神社名のみは300円、その他絵柄1枚につき300円)皇祖神社の御朱印と同じデザインの御守りもありました。
(800円)
頼まれごとで奉納しに数回お参りしました。
社務所に人が不在の際は、貼り紙に書かれている電話番号に電話をする形になりますが、宮司さんや奥さまが優しく出迎えてくださります。
宮司さんや奥さまは大変人のいい方々で,御朱印も見ごたえのある素晴らしいものです。
また機会があればお参りしようと思います。
御朱印を貰う為にお参りに行きました。
社務所は閉まっていて、これは出直しかなと思った時に何か社務所の前に書いて有るのを見つけ、ご用の方は電話を書いていたのを見つけました。
携帯から電話をすると、直ぐに宮司さんの奥様が来られて10分ほどで書いて持って来ますと言われました。
御朱印は2枚に渡り書かれた立派な物でした。
よろしければ名前と住所を書いて下さいと言われて、書いて少しお話が出来ました。
境内の桜も満開で、気持ち良く帰れめした。
またお参りに行きたい神社の一つになりました。
ありがとうございました。
名前 |
皇祖神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0948-22-6733 |
住所 |
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評価 |
4.5 |
落ち着く神社。
御朱印もデザインに工夫を凝らしたものを置いてます。