福井県福井市の足羽山にある神社である。
お参りしたあと、主祭神の新田義貞公が着用されていたと言われる兜「鉄製銀像篏冑(ぎんぞうがんかぶと)」は必ず拝観させていただきます。
足羽山の中腹に社殿があるので、下の鳥居から階段をかなり登ります。
車で社殿脇の駐車場までも上がれます。
義貞公と奥様が仲良く祀られているので良縁成就でも人気があるようですね。
藤島神社(ふじしまじんじゃ)は、福井県福井市の足羽山にある神社である。
旧社格は別格官幣社。
建武中興十五社の一社である。
南北朝時代の武将・新田義貞を主祭神とし、義貞の子の新田義顕・新田義興・新田義宗、弟の脇屋義助、および一族の将兵を配祀する。
新田義貞は延元3年(1338年)、灯明寺畷(現・福井市新田塚町)の合戦で戦死したが、それより約300年後の明暦年間(1655年~58年)、同地から農民によって兜鉢が発掘され、これが福井藩の軍学者・井原番右衛門の鑑定の結果、新田義貞の兜であるとされた。
万治元年(1660年)、福井藩主・松平光通は兜が発見された場所に「新田義貞戦死此所」の碑を建て、その場所は「新田塚」と呼ばれるようになった。
心で結ばれた二人・新田義貞と勾当内侍恋愛のパワースポット毛谷黒龍神社から続く階段を登りこの、藤島神社にたどり着きました。
山の中腹にあるので境内からは福井市内を一望でき、とても眺めが良い場所です。
藤島神社は福井市の足羽山にあり、鎌倉幕府を事実上滅亡に追い込んだ南北朝時代の武将である新田貞義(源 義貞)を祀る神社です。
新田義貞は1338年に灯明寺畷(今の福井市新田塚町)の合戦で戦死しました。
それから約300年後、農民によって新田貞義の兜が偶然発掘されたことからその場所に「新田義貞戦死此所」と刻んだ石碑が建てられました。
その後、明治9年(1876年)「別格官幣社藤島神社」が創建されました。
水害のため度々、遷座し、現在はこの地にあります。
境内には、摂社「野神神社」があり新田義貞の妻、勾当内侍(こうとうのないし)が祀られます。
南北朝時代、足利尊氏に敗れた新田義貞は北陸へ落ち延びる途中に、妻の匂当内侍を堅田に残したまま、越前(えちぜん)の藤島(ふじしま)で戦死します。
この悲報を聞いた内侍は悲しみ近くの湖水で入水したといわれています。
のちに村人たちが彼女を哀れんでその地に、野神神社が建てられました。
この摂社は、野上神社に由縁をいただいた形で鎮座します。
そのため、こちらの神社の絵馬は「心結び」と言って、男女の縁を心で結ぶものとなっております。
新田義貞と勾当内侍、心で結ばれた二人がここにはいます。
福井市足羽山公園にある、新田義貞公と奥方様が祀られているお社。
福井市内が一望出来ます。
太平記で有名ですが、足利尊氏勢と南朝方大将軍として戦った新田義貞公は、福井市灯明寺の戦いで亡くなられました。
その後、同市新田塚町の芦原街道沿いの新田公園隣接の新田塚神社様に首塚の跡地が祀られているそうです。
こちらも藤島神社様の所管となり、今でも有志の清掃作業奉仕活動や地域の祭りがおこなわれています。
その勇猛果敢な志と人徳を称え、贈正一位として藤島神社様は今でも子孫の新田宮司様により護られています。
文化財指定されておられますかと思いますが…?南朝方を代表されておられるだけあり、藤島神社様に展示されている新田義貞公の兜には、三十神以上の神々様の御名が刻まれていて、公の御信心の篤さがうかがえます。
間近に拝見出来るうちに一見の価値があると思いました。
神社入り口付近は狭い坂道です。
藤島神社様の看板が目印です。
お車の方は気を付けてご通行くださいね。
🚐💨
平日の昼間、天気がいいのに家でじっとしているのももったいないので、御朱印めぐりに出かけました😄気持ちのいい日和です♪藤島神社への道をナビに入れると、神社の直前かなり道がクネクネしてるなぁと思ってたら、案の定「細い急勾配の坂道」を登った先にありました😅平日ということもあり、参拝客は私ももう1人だけ✨厳かな雰囲気がある境内を歩き、お参りを済ませます😌御朱印の授与所の案内があったので行くと、女性のスタッフの方がいらっしゃいました🙋🏻u200d♀️御朱印をいただきたい旨お伝えすると、今宮司様が2人とも出払ってしまっていて、書く人がいないとのこと👀💦期間限定の書き置き御朱印ならあるがいかがですか?と聞かれました✨神無月(10月)限定の月見兎をモチーフにしたカラーの御朱印です🐇せっかくだからと、そちらの書き置きバージョンをお願いしました☺️スタッフの方が丁寧に対応してくださって、気持ちよくお参りできました😊
黒龍神社の横にある階段を登っていくとたどりつく、こちらの神社。
もちろん、車で上がることも可能です。
見晴らしの良い場所にあるこちらの神社は福井五社のひとつで、夫婦円満、縁結びの御利益で有名です。
また、見開きの御朱印をいただくことができました。
2020年1月参拝。
後からじっくり地図を見ると、毛谷黒龍神社にお参りした後、足羽神社より先に藤島神社に向かえば良かったのかな?山を一旦下りれば良かったのかな?と思うのだが、とにかくこの日は足羽神社から藤島神社に向かおうとしてもカーナビは全く役に立たず、一方通行の山道をぐるぐる回り続けるのに完全にブチキレてしまって、たまたま通りかかったお茶屋の前の駐車場に車を放り出すように停めて、呆れる妻を尻目にさっさと山道を登り始めたのだった。
結果、頂上付近の自然史博物館を挟んで山の向こうとこちらを登って下る格好になったようで、1年前に動脈を詰まらせた後遺症で不自由になった右足を引きずりながら、途中からはこれも良いリハビリだと思い直して、スマホのナビを頼りに歩いたり休んだりしていると20分ほどでお社が見えて来た。
北条政権下では同じ河内源氏の出自でありながら足利家に比べ格下扱いであったが、元弘の乱で鎌倉幕府、北条得宗家を倒し時代の区切りを付けたのは正に新田義貞であり、建武新政下で足利尊氏が後醍醐天皇と対立して以降は実質的な官軍の総大将であった。
大楠公も凄い武将だが、新田義貞公も戦上手な名将であり南朝の総大将として生涯を全うした忠臣だったのである。
2ケ月ほど前に同じ建武中興十五社の一社である金崎宮に詣でていながら、実は今回参拝するまで新田義貞が当地で亡くなったことをうっかり忘れてしまっていた。
チコちゃんでなくとも「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と怒られるところであった。
2020.3.2(mon)梅が咲き始めていました。
紅白ともにとても綺麗で目を楽しませてくれました✨たいへん見晴らしの良いところで、福井の街を見渡せます。
気持ち良いです✨階段を一段一段、昇っていく度に厳粛な気持ちになりました。
鳥居をくぐり、参詣。
文武両道の大神、新田義貞公をお祀りしており、家内安全、無病息災、商売繁盛などの御利益があるとのことです。
知恵と体力は、私の今年の抱負です。
志は高く〜✨行きは、毛谷黒龍神社から白山神社を経て階段をのぼり徒歩で来ました。
こちらの敷地には駐車場があったので、車でも来れそうです。
ただ、道は細いみたいですね。
帰りは、別の階段をおりてみました。
ふもとにも朱色の立派な鳥居がありました。
感謝✨
足羽山の小高い位置にあり、福井市が一望できる景観も気持ちがいいですね。
車で行く場合、かなり急な坂道で積雪があるときはややしんどいですが、境内近くにある駐車場は広く停めやすいです。
下から階段で徒歩で登っても趣があってよいですよ。
ぜひ新田義貞公にあやかりたいものです。
福井五社の一つ。
本殿の左側に社務所があり御朱印(600円)が変わり両開きにて頂けますし御朱印帳や御守りはここで購入できます。
仮にも人がいても御朱印が書ける人がいない場合は書き置き(600円)があります。
本殿にはおみくじやガチャガチャがあります。
足羽山にあるだけ春は桜を見ることができ秋には紅葉が見ものです。
七五三ができます。
藤島神社の近くには専用の無料駐車場がありほとんど歩かずにすみます。
急な坂なので歩く方はあまりオススメしません。
上部、社殿近くに数十台停めれる無料の境内駐車場があり、御朱印は300円でオリジナル御朱印1500円もありましたよ。
福井五社巡りの一社で五社全てで御朱印がいただけます。
名前 |
藤島神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0776-35-7010 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
足羽山を登ったところにありました。
数種類の御朱印があります。