駐車場から10分位上り坂です。
初めて行きました。
人がそれほど多くなく静かな場所で、ちょっとした散歩にいいところでした。
城跡まで登ったら、見晴らしがよく関門海峡と海がとても綺麗に見えました。
中々の絶景スポットだと思いました。
駐車場から10分位上り坂です。
高い位置から関門海峡、関門橋が見えて景色は綺麗です。
辿り着くのと帰るのが少し大変です。
源平合戦ゆかりの地です。
壇ノ浦の合戦の際、平知盛がここを拠点とし、満珠干珠に集まった源氏側の船群を待ち構えたと言われています。
展望台の駐車場から徒歩10-15分ほどです。
唐津市場や赤門神社、壇ノ浦古戦場など、下関側から周辺の観光地に寄り道し、関門海峡の地下トンネルを通って門司まで行く場合は、下関駅でレンタサイクルを借りて行くのが良いかと思います。
スポーツタイプで、電動アシスト有りが1日1000円ら電動アシスト無しは1日600円です。
地下トンネルの通行料は自転車だと片道20円、徒歩だと無料になります。
2024年の初日の出をここで見た🌅綺麗に見れた✨ほとんどの人は展望台へ行ったようだけど ここも10人くらい居た城跡遺構は改変されて判りにくい🤷\u200d♂️日帝時代の砲台跡は頂上に残ってる西尾根の遊歩道横にある石垣♪は細川時代との説がある🤔関門橋が見えて眺めの良いトコ登り口に案内標識、説明石碑がある標高175m、 第一展望台駐車場🅿️の標高約118m
綺麗な景色。
行くまでは草むらや土なので、汚れるよ。
平日なので人いなかった。
当たり前だが、街灯がないので明るい時間に行くように。
この小さな山にお城があったんですね。
もう少し綺麗に整備されてるとありがたいと思いました。
眺めはなかなかよかったです。
眺望はすごくいいです。
源平時代に築かれたと石碑にありました。
駐車場から歩いて5~10分程度です。
天気の良い日の眺めは素晴らしいですが、少し草深くて夏場は虫に注意した方がよいかもしれません。
めかり山頂公園の駐車場から徒歩約10分ほどの坂道を上ると着く。
山頂周囲は結構険しい地形で展望が良く特に関門海峡を行き交う船舶が良く見えることから山城には適していたと思う。
門司城跡は樹木が多いのでスカッとした展望は望めないが、関門橋方面は開けているのが有難い。
関門海峡の最狭部、北九州市門司区の古城山(174.9m)にある中世の山城の跡です。
一帯は和布刈公園(めかりこうえん)として整備されています。
壇ノ浦合戦の直前に平家側が築いたのが始まりといわれています。
その後、藤原親房が門司氏を名乗り、門司城を拠点としています。
江戸時代初期の元和の一国一城令で廃城になりました。
公園の第一展望台の眺めが期待とは違っていたので、第二展望台に向かっている途中に看板が出ていたので、登りました。
こちらは期待を裏切らない素敵な眺めで、登った甲斐がありました。
平知盛(清盛の四男)が源氏に備えて築城した。
城と言っても今見受けられる城ではないことだけは知っておいてもらいたい。
眼下に関門海峡を臨み西に目をやると響灘(小倉方面)、東はと言うと瀬戸内海を臨む。
良いところに拠点を構えたのは、戦時中の砲台跡の痕跡があることでも理解できるだろうな。
諸行無常・・1185年 安徳天皇が崩御(入水)されて平家が滅亡するが、源氏も僅か20年ほどで北条氏にとって代わられるのだからな。
穴場スポットですが、関門橋が木の影になりますが割ときれいに見えます。
ただ城跡としては、あまり見応えがある場所ではありません。
戦時中の砲台跡のような物があるだけです。
関門橋を見に行くつもりで登ると良いと思います。
和布刈公園の山頂駐車場から徒歩で氏神様の鳥居を過ぎた辺りで茶色い動物のお尻が見えたので急いで降りてきました、毛色大きさと良いゴールデンレトルリバーかカモシカか分かりませんが。
分かる方教えてください。
小型犬程の黒褐色のイノシシは遭遇した事はあります。
和布刈自体が御神体、獅子神様が現れたと思ってまた頂上までチャレンジしてみたいと思います。
駐車場からちょっと歩く。
人は少ない。
海が見えてめちゃくちゃ眺望良かった!
門司城は、和布刈公園の遊具のある広場から15分ほど歩いて登ると標高175mの古城山の山頂に築かれた城です。
1185年(元暦2年)平知盛が家臣の紀井通資に命じて築きました。
1255年(建長7年)藤原親房が豊前代官職として入城し、門司氏を名乗るようになりました。
南北朝時代には当城の門司親尚らが北朝、猿喰城の門司親頼が南朝に付いて門司氏は分裂しています。
戦国時代には当城をめぐる攻防が続き、1430年(永享2年)秋月春種と原田信朝が大内氏を攻めて当城を落としました。
その後、大内氏の城として存続するも、1551年(天文19年)大寧寺の変の後、厳島の戦い、防長経略を経て、毛利氏と大友氏の不可侵条約の条件として豊前国は大友領となり、門司城は大友氏の城となりました。
しかし、毛利氏は1558年(永禄元年)に小早川隆景を大将として門司城を攻撃し、城を奪取し、仁保隆慰を城代としました。
1561年(永禄4年)には戸次鑑連、田原親堅、臼杵鑑速ら大友義鎮の軍勢・数万人が門司城を攻めました(門司城の戦い)が、毛利氏はこれを撃退しています。
この敗戦を契機に大友義鎮は出家して宗麟と号し、将軍足利義輝を仲介しての和睦交渉を進め、1564年(永禄7年)尼子氏との戦いが激化した毛利氏との和睦が成立し、門司城は引き続き毛利氏の勢力下となりました。
1600年(慶長5年)細川忠興が豊前国に入ると、城を修築して長岡勘解由を城代におき、1617年(元和3年)に廃城となりました。
1892年(明治25年)大日本帝国海軍の下関要塞が築かれたため遺構はほぼ壊滅しましたが、往事の石垣が一部残っています。
石垣・石段・曲輪・城門跡が遺り、山頂には「史蹟 門司城跡」と刻まれた石標と、歌碑が建っています。
和布刈公園内には、「本丸跡の砲台の土台」や「門司城跡」などもあります。
「門司城跡」は1185年に築城され、1617年に廃城となったそうです。
また、門司城の石碑には、”波の間に降り込む雪の色呑みて玄海の灘今宵荒れたり まどろめば胸どに熱く迫り来て面影二つ父母よさらば”と記されています。
かなり重要な拠点のはずだが、放置されているに等しいくらい寂れている。
史跡。
門司港を見下ろす、まばらな人口。
これは、駐車場から短い距離を移動します。
(原文)歷史遺跡。
人煙稀少,在此可俯瞰門司港。
從停車場到此要走一小段路。
なにかの本で毛利氏がここに攻め寄せて来たことがあったと知って微妙に驚いた事を覚えています。
今回3度めの来訪で、しかもほぼ山頂近くまで車で登って来れるのでわりと楽に行けると思っていたのですが、歳には勝てません。
途中でヒーコラいいながらやっとの思いで山頂の主郭跡にたどり着きました。
(多分片道1kmもなかったと思いますが…)
名前 |
門司城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
絶対車で来たほうがいいです!すごい急勾配で車で良かったと思いました。
駐車場からも15分くらい、山道を進みます。
頂上は人もおらず、景色を独り占めできますよ!運が良かったのか空母もいました。