古城山砲台・堡塁跡は下関要塞の砲台・堡塁の一つ。
「福岡県の戦争遺跡」によれば、古城山砲台・堡塁跡は下関要塞の砲台・堡塁の一つ。
遺存状況はまあまあ良い。
郷土の歴史の一片として今後も大切に残してもらいたい遺跡の一つ。
明治期の日本の国防重要地点として関門海峡が定められたことを受けて、明治20年(1887年)から関門海峡の両側に砲台・堡塁など19ヶ所(古城山砲台・堡塁のほか 、矢筈山堡塁(砲台)、手向山砲台、笹尾山砲台、富野堡塁、高蔵(高倉)山堡塁が残存)が下関要塞として構築された。
日清・日露戦争での防御に対応する予定であったが、実戦に使用されることはなく、明治末期には一部を除いて廃止された。
古城山砲台・堡塁は、標高175mの古城山の7合目、標高100m付近に、下関要塞地帯の一部として周防灘、関門海峡の両海面を制圧する役目で、明治21年(1888年)2月起工、同23年(1890年)6月竣工。
砲台は24年10月〜25年4月の間に24糎臼砲5砲座10門を設置していた。
明治末期に廃止。
現在は和布刈公園となり埋もれている。
観測所は山頂部にあり、コンクリート構造物と階段が残る。
山頂手前の標高160mの尾根上には明治27年(1894年)10月起工、同28年(1895年)10月竣工の堡塁があり、機関砲4門を備砲したとされる。
赤煉瓦造り半地下式倉庫が石垣とともに残る。
なお、砲台は一度廃止されたが、太平洋戦争中には改めて高射砲陣地が設置され、北九州の防空を担った。
北九州を見下ろす砲台跡。
背後に弾薬庫があります。
古城山は、九州最北端にある標高175mの山です。
和布刈公園の遊具のある広場から15分ほど歩いて登ると山頂まで登ることができます。
かつては門司城が築かれていました。
名前 |
古城山 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
三等三角点『城山』がある。
関門橋がよく見えるよ。