名前 |
山陽道 小郡一里塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
慶長9年1604年に江戸幕府2代将軍、秀忠の命令で主な街道が整備された時、街道1里(約4キロメートル)ごとに目印として築かれたものです。
江戸時代、江戸(現在の東京)から京都までのルートには海沿いの東海道と山沿いの中山道(なかせんどう)がありました。
なる程。
この石碑は、江戸時代から証明としてあったかもしれないが、でも、石碑自体は新しい様な気がします。
この石碑に、赤間関(現在の下関市)の名が刻まれていると云う事は、赤間関も、何かしらこの場所と関係していたのではないでしょうか。
あ、他の説明では、一里塚は、江戸時代に、全国の諸街道に1里ごとに土を盛り、松や榎(えのき)等の樹木を植え、里程の目標とした塚。
と言う事です。