感動した、 郷方達にも守られている。
米原駅西口の東横インに宿泊した翌朝、散歩しようと思ってGoogleMapで見つけたので行ってみました。
米原駅から徒歩でも10分ほど、田畑の真ん中にありますが道路に案内看板も出ているのでわかりやすいです。
数台停められる駐車スペースもありますが、晴れてる日なら丁度良い散歩コースになりますね。
以下、米原市教育委員会が設置した説明板より----------------------------------------------------------------------------------------------関ヶ原の合戦(1600)で、西軍石田方の参謀として奮迅の働きをした大谷刑部吉継(1559~1600)の首塚と伝えられています。
小形の一石五輪塔で、半間四方の覆屋の祠の中にまつられています。
大谷吉継は、石田三成と同じころに羽柴秀吉に召抱えられ、関ケ原合戦のときには越前国敦賀五万石の領主でした。
関ヶ原での小早川秀秋の裏切りによって、西軍の敗北を悟った吉継が、敵に首を渡さないよう、湯浅五助の介錯で自刃し、甥の僧祐玄が首級を錦の袋に入れて、敦賀への逃亡の途上に、この地に埋め隠したといわれています。
いまでも地元の人々によって大切に守られ、供養されています。
------------------------------------------------------------------------------------------------そういえば大谷吉継って近江国(滋賀県)の生まれだよね。
田畑に囲まれた場所にあります。
偉人のお墓としては、寂しいですが、お花が供えてありました。
地元の方々大切にされてしるのだと思いました。
設置された寄せ書きノートでは訪れた人々の戦国愛や大谷吉継愛が感じられて良き場所です。
畑の中にあるので少し入りづらい印象もありますが、看板に倣って進んでいけば大丈夫です。
地元の観光サイトでは駐車場には米原市役所米原庁舎の利用を進めていますが、首塚のすぐ横に駐車場が整えられているのでこれから行こうと思ってる方はそちらの方が早いし楽です。
市役所からだと700mほど歩きますし、ルートによっては鳥のフンだらけの橋を渡ることになります。
田んぼの中にあります。
記帳用のノートとボールペン、線香用のチャッカマンがビニールポーチの中に入ってます。
屋根もないので雨の日は書くことできないと思います。
祠を開けると中に線香がおいてあります。
地元の人にも大切にされてる感じがしました。
平日だったので誰もいませんでした。
晴れてたので首塚からの眺めもきれいでしたよ。
大谷神社にすれば良いのに豊臣秀吉の隠し子側室の東殿と秀吉の間に生れたてが正室のネネの怒りを買い毒をもられて生死をさまよう命は、とりとめたが顔がただれる後遺症に生涯悩まされる石田三成の親友としても有名ネネは、秀吉を心底愛しており(子供が産めないネネ)👈秀吉しか見えていないネネ愛は、盲目と言える他の女性が秀吉の子を産む事を良く思っていない女の嫉妬🌠しっと🌠ヤバい怖いガタガタ((((;゜Д゜)))無事に成人させるかと言うネネの心が怖い。
最寄りは米原駅ですが、徒歩ではきついと思います。
関ケ原の合戦で自刃した吉継公の首が埋められているとされている場所です。
田んぼのど真ん中にありますが綺麗に整備されており、記名できるノートが設置されているので訪れたら是非記入して欲しいです。
米原駅より徒歩10分。
畑のど真ん中に祠のようなものがある。
今は竹のフェンスに囲まれ足元は庭石や砂利が敷かれ、案内板やベンチなどがありとても綺麗に整備されている。
最近は駐車場(仮)もできたようだ。
祠には地元自治会が用意したノートがあり自由に書き込める。
近所の方が頻繁に訪れ、祠から見える伊吹山の様子や自身の体調などを大谷吉継に報告する書き込みが見れる。
車で行かれる場合、下多良公民館の駐車場に一時的に駐車させてもらい徒歩になります。
(農道の中にあるので農道に車を停めると地元の人の邪魔になるので)公民館と下多良神社の間の農道に幟(のぼり)が立っているので、それを目印にすれば伊吹山を背景に畑の中に祀られている祠が見えてきます。
大切に手入れされた祠です。
名前 |
大谷吉継の首塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
以前から本や写真で知っていましたが、地元の方たちが整理清掃されているようで綺麗でした。