転車台遺構として、一般公開されました。
2022.11.16昔は鉄路が嘉手納、与那原、糸満へと繋がっていた。
今日において、糸満から名護まで鉄道を通す計画がある。
インバウンドや国内旅行者にも分かり易い交通手段ができることを望む。
ふと見かけた機関車こういうレトロな跡地、残してもらってて良かった。
ミニ機関車があり、説明書きもあってしばし立ち止まってしまった。
回りは繁華街だけど、こういうのに癒やされる。
ここ旧那覇駅跡は、かつて沖縄にあった鉄道のひとつ、沖縄県営鉄道(軽便鉄道)・与那原線の起点・那覇駅があった場所。
現在は那覇バスターミナルとなった敷地の端に、転車台の遺構がある。
遺構は柵で覆われ、周りに那覇駅の歴史を写真や文章で展示していたので以下抜粋した。
与那原線は1914年に開業し、人々から「ケービン」の愛称で親しまれた。
那覇駅はその後の路線増加とともに拡充された。
赤瓦葺きの木造平屋建ての駅舎には売店もあり、隣接して鉄道管理所や交番が置かれた。
構内には転車台、機関庫、石炭置き場、職員住宅などがあった。
1944年の空襲で那覇駅は甚大な被害を受けたが1ヶ月後には運行が再開され、兵士の輸送や住民の疎開に利用された。
しかし、翌年に米軍の攻撃により破壊され、運休となった。
終戦後の1947年には鉄道復興の計画もあったが、道路の整備が優先された。
1950年に朝鮮戦争が起こり、鋼材不足のためスクラップ(くず鉄)ブームが起こり、車両やレールの残骸もスクラップとなった。
1953年から那覇駅周辺の区画整理が始まり、1959年には那覇バスターミナルとなった。
抜粋は以上。
2022年6月、旧那覇駅があった那覇バスターミナルから終着駅・与那原駅までの廃線跡を自転車で辿ってみた。
途中には当時の遺構まだがいくつか残っていた。
沖縄の鉄道は戦争によってすべて失われてしまったが、文化遺産として旧那覇駅跡のように後世に残すことは良いことと思う。
「那覇駅跡」は、国道58号線から那覇バスターミナルに向かう途中にあります。
鉄道廃線跡が明瞭に残っているのではなく、発掘された機関車転車台の遺構と、ここが那覇駅跡である旨を示す案内板が立っているだけです。
初めてこの遺構を目にしたときは夕闇の中で、ライトアップされていたこともあり、息を呑みました。
この遺構は、旧与那原駅駅舎と共に、沖縄本島にかつて粘着式鉄道が建設され、旅客と物資を運送する定時運行が行われていたことを雄弁に証言する鉄道遺産であると、私は考えます。
自分も、跡が取っ払われて現役の駅としての復活及びモノレール駅との一体運用(旭橋駅から改称)を願っている。
ビルを作った以上地下にしかできないが。
ゆくゆくは鹿児島から新幹線の駅に。
軽便鉄道・・・戦火の後から、沖縄は、鉄道は無くやっとモノレールが出来て、県民の負担が多少解消された。
鉄軌道を早めに導入して欲しいと切に思う。
名前 |
那覇駅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/%E9%82%A3%E8%A6%87%E9%A7%85 |
評価 |
4.2 |
バスターミナルからモノレール旭橋方面に行くとあります。
転車台の遺跡です。
今現在は駅の面影は全く有りませんが、少ないですが写真パネルもあり、当時の面影をイメージできます。