旧本殿が重要文化財に指定されています。
主祭神の鎮座は社記によると、筑後国の高良大社より勧請されたものといわれるが、その年代は不詳である。
又相殿の三女神については、「社伝」によれば、「納胸形君徳善女尼子姫」 此尼子娘後に斯所に住玉ひて三女神を祭り給ひし」とあり、また社記に「治暦年中より甲良荘の総社と成りける」とあることから治暦以前に勧請されたもので、その頃から甲良荘33ヶ村の総社として厚く信仰されていた。
降って徳川三代将軍家光の時、本殿以下諸殿の造宮がなされている。
元禄14年には「正一位松宮大明神との宗源宣旨があり、『淡海国木間攫巻二』にも「正一位松宮大明神」と見え、明治までは甲良大明神、又松宮大明神と称していた。
明治5年甲良神社と改称し村社に加列し次いで明治16年郷社に昇格、この年本殿以下を新築し大正15年拝殿竣工、続いて社務所の新築等社頭は整備された。
旧本殿は仮殿の目的で本殿西側に移築し保存した。
これが現存する「重要文化財甲良神社権殿」である。
この権殿は寛永11年の造営で、社殿の彫刻等に室町期の作風を伝えるものとして大正4年文部省より特別保護建造物に指定された。
昭和25年より1ヶ年の工期をもって全面解体修理を行い面目を一新、更に昭和53年3月防災施設を完備し現在に至っている。
甲良神社権殿。
町役場近くに甲良神社本殿があります。
御祭神は三韓征伐時、神功皇后を支えた長寿の武内宿禰です。
尼子姫が九州筑後の高良大社より勧請された由。
高良と甲良良く似てる。
滋賀の甲と高を入れ替えて読みは同じにして、高良大社との関係性を意識されたのかも知れませんね。
大きめの神社で、表通りより少し奥まった場所に有ります。
無知ですいません。
なぜ同じ名前の神社があるのですか?
昔、松宮大明神と呼ばれましたが、明治5年(1872)に現在の神社名に改称しました。
兵火で記録などが焼失し、いつごろの開基かはっきりわかりませんが、拝殿棟鬼板や神輿に佐々木神社の神紋と同じ四つ目が使われていることから、近江源氏佐々木氏と関係の深い神社だと考えられ、甲良宗廣が現在の本殿を造営したと伝えられます。
本殿横にある権殿はもとの本殿で、室町中期に火事で焼けた後再建された建物の一部といわれていますが、江戸時代初期の墨書が残っているため、その頃の建立と考えられ、国の重要文化財に指定されています。
建物の背が非常に高く、規模は小さいですがしっかりした造りです。
また、直線的な屋根や神社の建物の配置などが、伊勢神宮によく似ているといわれています。
重要文化財があるで。
旧本殿が重要文化財に指定されています。
名前 |
甲良神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0749-38-8115 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
家の家紋と社の紋が同じなので何かの繋がりする物が有ればと思って来て見たかったです。