天津国玉神の子、金山彦神の孫。
光仁天皇の御代とされ、中山道に近い関係より、戦国の時代には度々兵火に遭い社殿が焼失した。
現在の本殿は延宝7年に再建されてものである。
上古には社地は広く八町四方もあり将軍足利尊氏のとき、京極家の被官であったこの地の豪族高野瀬氏が高野瀬村に城を築き、当社を守護神と仰ぎ日次、月次の神事を執行し、毎月17の日を市日、正月8日を初市日とし、高野瀬家の吉例として当社に神饌20種の魚類を神供し、8日の初市には9種の鳥類を献し、城主自から祭典を行う程信仰が篤く、市を開く等商業の振興にも力を注いだ。
珍しい雛鳥の社紋。
駐車場はありません。
最寄りの交通機関は、近江鉄道豊郷駅になります。
徒歩で10分くらいです。
「天稚彦神社」と書いてなんと読むかどこにもルビは振ってなく途方にくれましたがヒントはお祭りの告示の中にありました。
わかひこ祭りとあり、ならばアメワカヒコと読むのだろうと神社前のお店で聞いたら正解でした。
多分ですが天稚彦が主祭神で天稚彦神社と名乗る社は日本でここしかないと思います。
非常にレアな神社です。
天稚彦信者の私ですが参拝出来た自分にも星5つけたいと思います‼️
多分ですが天稚彦が主祭神で天稚彦神社と名乗る社は日本でここしかないと思います。
非常にレアな神社です。
天稚彦信者の私ですが参拝出来た自分にも星5つけたいと思います‼️ありがとうございました。
国史見在社 三代実録 近江国天若御子神御祭神:天稚彦命 大国主命 事代主命配祀: 大山咋神 大物主命 加具土命 下照姫命 菅原道眞公 天稚彦命は、天津国玉神の子、金山彦神の孫。
金山彦神は、イザナミの神産みにおいて、嘔吐物(たぐり)から化生した神とされ、美濃の国守で中山道を開いたという。
岐阜県垂井町の南宮大社に祀られている。
記紀では、天若日子命は天照大神に使者として豊葦原中国の平定の為遣わされた。
天若日子命は大国主命の娘下照姫命を娶り、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻らなかった。
天照大神と高御産巣日神は名鳴女と言う雉を遣わしたところ、天若日子命はその雉を弓矢で射ると、その矢が天から戻って来て、その返し矢に当たって死んだとなっている。
ここより北西1.2kmに位置する三津町の勝鳥神社(元、当社の仮殿)の由緒では、美濃の国での戦いで亡くなられた天稚彦命の亡骸を下照姫命の兄が三津に葬り勝鳥石をたてたと語り伝えられている。
勝鳥神社所蔵の懸け仏の裏の天稚宮がご神体で、祭日の日に天稚彦神社、それ以外の日は勝鳥神社に置くと言われている。
名前 |
天稚彦神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0749-47-6233 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
天稚彦祀られている神社です。
落ち着いている雰囲気でほっこりできます。