豊川海軍工廠平和公園が正式名称です。
豊川海軍工廠 平和公園 / / .
はっきり言って何も無いです。
ドックランにしている罰当たりな方が居る位。
しかし、豊川の歴史には重要。
どこの小学校でも空襲を学びます。
広島と長崎の間の空白の日に海軍工廠は、空襲にあいました。
学徒動員で若い命も沢山失った場所でもあります。
佐奈川から西側は、特に空襲がひどく現在もだれも住まず工業団地や、陸上競技場や文化会館、勤労福祉会館として公共の建物や敷地として残ります。
また、豊川には、自衛隊も存在し名残がまだまだあり、もしも戦争が起こったならは、同じ様に空襲があるかもしれません。
知っておくべき場所の一つだとかんじました。
チャンスがあれば、ボランティアの説明をしてくださる方に学校を定年退職された懐かしい先生に会えるかもしれません。
広い無料駐車場があります。
現在はとても広い公園になって市民の憩いの場所になっています、鈴鹿と豊川との選択の末平野が多い事から豊川に選定されました、戦時中は弾丸や機銃などの製造で東洋一の規模を誇っていたらしいです、数度の空襲によってほぼ壊滅したらしいですが今でも工場内に旋盤や加工機などが展示されています、土地は日本車両やコニカミノルタなどの企業に分割され一部が公園になっていますがそれでも広大です。
豊川稲荷の帰りによく立ち寄りますが歴史遺産としてとても重要と思います。
出身地の豊川が空襲を受けたことは、小学生時代から授業や社会見学で知っていたけど、この街を離れてからその歴史の重みと後世に伝える必要性を大きく感じています。
その資料がたくさん集められた資料館が、現存する海軍工廠の遺構と共に平和公園として整備されたことを知り、豊川に帰ってきたタイミングで立ち寄りました。
私自身いくつかも文献や資料を持っており知識として豊川海軍工廠と、広島原爆の日の翌日である8月7日に起きた豊川空襲のことはある程度わかっていますが、現存している遺構や空襲の被害者の方の遺品の数々と対面すると、思わず息をのんでしまいます。
戦争という行為がいかに愚かな行為であるか。
地元である豊川市で起きた悲惨な歴史を通して、私たちは知ることができます。
今起きている戦争、私たちにはそれを止める術はないのが正直なところですが、過去から学ぶべきことは少なくありません。
2022年にもなって、1980年代まで続いた冷戦期、いやそれより前の軍事的な緊張感が張り巡らせられた世界に戻る必要はないのです。
一人でも多くの市民や、豊川海軍工廠の歴史に興味を持つ人たちに立ち寄っていただきたい場所であり、豊川の歴史的観光資源として広島や長崎と共に広く知っていただきたい施設です。
と、辛いことを書いてしまいましたが、単純に公園として気持ちの良い場所でもあるので、難しいことはともかく、この場所で過ごすこと自体が価値があると思います。
以前のこの場所のイメージから、ちょっと暗い雰囲気の場所かと思ってましたが、そんなことは全くありませんし、駐車場もしっかり整備されていますので(火曜定休、17時閉門)。
平和交流館で様々な資料から当時の悲惨な状況を想像しつつ⋅⋅⋅綺麗に整備された公園をゆっくり歩きました。
滑り台が1つありますが落ち着ける公園です。
ずっと訪れたいと思っていた⋅⋅⋅叔母が動員学徒で亡くなった地です😔
館内に、戦争当時の写真や手記が展示されています。
公園は整備された、とても綺麗な公園。
子供たちが思う存分走り回れます。
こういうのは残してほしい。
そして伝えてほしい。
私たち若者はこの日常をしらない。
海軍工廠の跡地を整備した公園です。
終戦間近の20年8月に空襲を受け多大な犠牲を出しました。
展示施設もあるので是非見学することをおすすめします。
若干期待外れ・・資料館もありボランティアによるガイドもあるようだが。
陸自豊川駐屯地も入る広大な海軍工廠跡地ではあるが見学ポイントが少ないので期待外れ感は否めない。
豊川工廠に関する資料を見ることができます。
そこで働いていた学生の話、空襲の話、当時の社会を想像して、夢や希望を持った若者たちが戦争に巻き込まれて無念の最期を遂げていったことに深い悲しみと哀悼の意を表したいと感じる場所です。
現在のその場所は公園として整備されており、家族連れや地元の人々が平和に芝生の上で過ごしています。
戦争の悲惨さと平和の尊さを同時に実感できます。
旧海軍の旧跡です。
ここまでしっかりと地下ではなく、陸上にトーチカや弾薬庫等が残っている史跡は珍しいと思います。
近くに来たら、是非とも立ち寄りたい場所です。
1日に4回も、ボランティアの語り部の方の解説が聞けます。
ボランティアの方から詳しい解説を聞くことができました。
とても有意義な時間を過ごすことができました。
豊川海軍工廠の火工部があった場所の一角にできた公園。
当時のモノを残しつつ現代の子供用遊具もあり、子供をちょっと遊ばせ見えないものを見て想いを馳せるにはちょうどいい公園。
昨日マップを見ていてたまたまその存在を知り訪問しました。
偶然にも父が昔勤めていた会社がすぐ南隣にありました。
広島に原爆が投下された翌日の昭和20年8月7日に大規模な空襲が豊川であったことは知りませんでした。
公園内に資料館があり当時の写真や軍需工場で被災された方々の生々しい証言、遺品、新聞記事など詳しい資料が数多く展示されていて戦争(空襲)の悲惨さを嫌と言うほど思い知らされましたし学徒動員された女学生の遺書など涙が出ました。
正午になると竹内まりやの(命の詩)が豊川市内の小学生の合唱で流れますが命の大切さを歌う歌詞が心に刺さります。
沖縄と広島で受けたのと同じ衝撃を受けました。
通りがかりに偶然見つけたので、立ち寄りました。
展示施設を見学し、公園内を散策していたら、ボランティアガイドの方に声をかけられ、ゆっくり丁寧に解りやすく、説明して頂きました。
過去の歴史を学び残すためにも必要だと思いました・・・。
また、公園で遊ぶ親子をみて、平和の尊さをあらためて実感しました。
見学用無料駐車場、公衆トイレあります。
空襲の悲惨さを隠した森は伐採されて、きれいに整備されてオープンな公園となった旧海軍工廠跡、戦後は名大の研究施設として使われていた。
閉鎖された空間は、時間ごとにボランティアの案内がされている。
資料館、映画と合わせて見学に一時間は必要です。
無料です。
豊川海軍工廠、空襲、戦争の怖ろしさについて知れる施設。
ボランティアの方のご協力で最終15:30まで三四半世紀前の建物とは思えない保存状態の良い火薬格納庫の内部を特別に見学できます。
地球に住む人類は戦争なんて絶対に起こしてはならない…戦争は痛みや悲しみしか生み出さない!
戦争遺構の新しい展示施設ですね当時の豊川海軍工廠の様子が、分かりやすくしかも予約すれば普段見られない火薬庫や信管置場をボランティアガイドさんが説明していただけます。
是非 記憶に留めたい施設ですね。
豊川海軍工廠平和公園が正式名称です。
かって、この地域一帯が東洋一の軍事工場豊川海軍工廠だったのですが、この公園近辺は名古屋大学が研究施設として使用していた為、工廠当時の施設が残されていました。
それを後世に残すためできたのがこちらの公園です。
見学できる施設は多くありませんが、当時の施設を見学でき、体験談などを知ることができる貴重な施設として、今後もあり続けていただけたらと思います。
東洋一と言われた豊川海軍工厰の資料館建設と戦時の遺物整備が行われています。
着々と工事が進んでいました。
2017年6月現在、建設中です。
名前 |
豊川海軍工廠 平和公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0533-95-3069 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.city.toyokawa.lg.jp/saijibunka/aoinomon/kaigunkoushouheiwako/toyokawakousyou.html |
評価 |
4.2 |
実際にこの場で過去に起きた悲惨な現実を学べる施設。
公園の敷地内に遺構が残っていたり、小さいが歴史を伝えようとする施設もある。
イベントも開催され、ガイドの方と回ることも出来る。
公園はフラットな場所が多く、遊具は1つ大きなものがあった。
駐車場は広く利用しやすい。