名前 |
水主町地蔵尊堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
地蔵堂の解説文から引用します。
遠い昔にインドから隠岐島に伝来したと言われる「顎(あご)なし地蔵」を浅野藩時代(1619~1871)に水主(船頭、ふなのり)が、大河から浅野家の紋所(もんどころ)のある提灯(ちょうちん)と共に水主町(現広島市中区羽衣町付近)に持ち込み、お堂を造ってお祀りしたと古くから語り継がれています。
地蔵尊堂は、以前「水主町348-1」にあり、十坪の土地に木造の寄棟造の正面二間に奥行き三間の堂宇で、地獄極楽の天井図があったが、原爆投下によって灰燼に帰した。
さらに新都市計画で、その土地は、今の吉島通りとなった。
そこで近くの篤志家が同家の敷地内に堂を造って祀った。
その後新たに五体の地蔵が持ち込まれた。
祭祀は、地域の世話人が子供の参加を得て例年営んできた。
太田川河川改修工事に伴い、この地に平成八年五月二十一日移転造営が決まった。
これを機に有志で地蔵尊奉賛会を結成した。
会員一同協力して地蔵尊の教えを広め、永くこの志を伝えたい。
説明によると、顎(あご)なし地蔵に五体の地蔵が持ち込まれたとありますが、実際に祀られている地蔵様は七体。
説明書きにない原爆地蔵尊というお地蔵さんが後に加わったのでしょうか?